関ジャニ∞『奇跡の人』を受け止める

どうも~、皆さん夏、してますか~???(古さを感じる挨拶)

夏は楽しいですね。楽しいこといっぱいだから夏なんですね。今年の夏を彩ってくれる思い出の1つが現在絶賛開催中のジャムコン!そちらの感想を書きたいのですが、どうしても『奇跡の人』のところで考えが止まってしまうので、まずはそちらから書き留めておくことにしました。

そうこうしてる間にちょうど昨日辺りから、Twitter上で『奇跡の人』の歌詞についての意見がちらほら見受けられるようになりました。他の方の意見を受けて今後私の考えが変わるかもしれないのですが、とりあえず現時点で、私が感じていることを言葉にしてみます。

火種に着火する意図はありません。軽くさらーっと書くつもりだったのですが、思わぬ長文になってしまいました。これだけこの曲のことを考えていたということが分かって自分にびっくり。

 

『奇跡の人』とは

概要
奇跡の人(通常盤)

奇跡の人(通常盤)

 

9月6日発売の関ジャニ∞のシングル新曲。

奇跡の人|関ジャニ∞公式サイト / INFINITY RECORDS オフィシャル ウェブサイト

さだまさし作詞作曲の提供曲。音楽バラエティー番組『関ジャム 完全燃SHOW』出演をきっかけにメンバーとの交流が生まれ、メンバー錦戸亮がさだまさしとの会食にて関ジャニ∞への楽曲提供を依頼し、実現。
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錦戸主演ドラマ『ウチの夫は仕事ができない』主題歌。

音楽|ウチの夫は仕事ができない|日本テレビ

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内容は 「女性に抱く理想は裏切られるばかりの現実、けど夢は捨てない、自分の理想の女性(=奇跡の人)に巡り合いたい、そんな奇跡のような相手と巡り合い、一生添い遂げたい」という結婚についての夢を歌った曲。

さだまさしの名曲『関白宣言』の流れを汲んだ「現代版『関白宣言』」。

前置き

私が思う『奇跡の人』の危うさは主に3方向に波及します。

  1. 自分(私はショックを受けたという個人的な話)
  2. ファン(若い女の子全般を一括りにして批判する内容は感じが悪くないか)
  3. 一般(関ジャニ∞炎上しないか)

うまく項目分けできればよかったんですが、申し訳ないことに私は仕事ができないのであちこち話が飛びながらゴールも見えないままつらつらと書きます。この3つの対象者像を思い描きながらこの曲を聞いているということを念頭に置いてこの先をお読み頂けたらと思います。

また、今回とりあげているのはその歌詞についてなんですが、まだ発売前ということもあり正確なものは載せていません。「奇跡の人 歌詞」のキーワードでリアルタイム検索等すると見つかると思いますので、そちらで補完をお願いします。

 

目次

 

口が悪い歌詞をどうとらえるか

推移する印象

聞く場所と聞く部分が変わるごとに感想が変わってきています。

・THE MUSIC DAYでの初披露時→「上手に男を立てる人」…うーん、炎上しそう…でもまぁ、エイトそういう子好っきゃもんな。

・録画を見直したりドラマEDで聞く時→ええ曲や…君に会いたい…。

・ジャムコンでのフルコーラス披露時→え、えー!…えー…あー…うん…。

って感じでした。(全く伝わらない)

先日ジャムコンに入り、フルコーラスで披露されたものを聞いた時、1番の歌詞に自分でも驚くぐらい大きな衝撃を受けましたし、その後もその余韻を引きずったままです。現実的で余りにも正直な人間の本音を、コンサートという夢の世界でいきなり聞いたから、ちょっと引いちゃったのかもしれません。でも、聞く場所を選んでしまう歌ってそもそもどうなんだって感じもします。

「若い子」への本音である1番

フルコーラスを聞いてビックリしたのは、TVで聞いて知っていた部分が2番だったこと。でも、次々と繰り出されるグーパンチの応酬に、「これは1番はTVじゃ歌えないよな…」「ドラマにも合わないから2番を流していたのか…」と納得しました。

1番の歌詞が…うーん…何と言っていいのか…言葉を選ばずに言えば「人をけなす」内容ですよね。それも、特定の誰かじゃなくて、大きく「若い今時の女の子達」を一括りにして。

「これ、若い子大丈夫?」ってまず思いました。その後に「いや、若い子って…自分はもう若い子じゃないってこと?」って考えました。「だって私が若いなんて言ったらJKに刺される…」「でも若くないって言ったら年上の人に失礼だよね…」「それは若さの呪いじゃない?」みたいな一人会議も行いました。結論としては、関ジャニ∞からしたら私は年下だし胸張って「若い」で良いじゃん、ってことにしたのですが。一体誰に対する予防線なんだ…。歌の趣旨と関係ないこんな余計なことまで考えてしまった…。

自分が「若い子」だとして

つまるところ、他人を気遣うふりして自分をその問題から超越させようとしたけれど、本当は自分がショックを受けているんだと思います。私は、私が悪く言われているようで、気を悪くしたのかもしれないです。

歌詞で言われているように、「プライドむき出し。下品。自分にだけしか興味はない(時もある)。平気で(?)噓つく(こともある)。誰でも(ってことはないが)タメ口(になってしまうこともある)。朝から晩まで人の悪口(だけじゃないけど)。利己主義。恥じない。上から目線。」…私、そういうところあるので。本当のことにしろ、よく知らない人からズバッと言われてあまり良い気はしない内容です。分かってるからこそ、へこみます、単純に。

追記:自分を歌の風景のどこに置くか

ほとんど最後までこの記事を書き終えていたのですが、今、目から鱗だったのでここに追記します。

私、この歌詞を「言われる」側でしか捉えてなかったのですが、「言う」側で捉えて聞いている方も居るんですね…!

「男女関係なく利己主義な人が嫌なのは当然だから、この歌詞に共感できる~」という見方があったことに今の今まで気が付きませんでした。「何が悪いのか分からない」派の中にはこういう方も居るのだとちょっと納得しました。

笑いに変えるユーモア

『奇跡の人』と、西野カナさん『トリセツ』の取扱いめんどくさい女子あるあるとは違う感じがします。あれは自分(歌の主人公)自身をネタにしているので、まず他人を攻撃しない。 

あと、関ジャニ∞『イッツマイソウル』で挙げられる「気が利くわけじゃーない」「2時間の待ちぼうけ」「とどめさすドタキャン」「今もそれほど可愛いってわけじゃーない」「優しさって言う感情も薄くない?」「ありえないワガママ」「深夜2時のお迎えコール」「無神経な言葉」という特定女性の欠点とは根本的に違います。

『奇跡の人』の主人公は思い浮かべる女性一般に対して、愛が無いんです。だから辛辣。ユーモラスさより、「言ったったで感」が勝ってしまっているように感じます。さださん提供と聞いて期待していたよりも、うまいこと言ってる感じがしませんでした。直接的な単語でズバッと表現している分、笑うのが難しい。

もしかしたら、この歌詞をどうコミカルに歌って見せるかが、歌い手の腕の見せどころかもしれませんが。

朝から晩まで人の悪口言うてるのは自分やん

挙げられている欠点が全て当てはまり、かつ自覚している人は少ないかもしれませんが、全く当てはまらないなんて人はまず居ないはずです。誰にも多かれ少なかれそういう面はある。そういう意味で無差別に人に石を投げる歌詞だと思います。

もちろん、人の悪口を目的とした歌じゃないことは分かっています。個人の理想の話ですから、思うのも自由です。でも例えば、自分に言われてるのでないにしろ、電車の中で大声でこの曲の歌詞のようなことを言っている人がいたら、色々と気ぃ悪い。私はそう感じます。

引っかかる歌詞は挙げれば山程

これだけ「これだから女は…」と並べておいて次に「こういう女性なら巡り合いたい」と理想を並べ立てるのは、すごく自分勝手だと思います。自分の中にある理想なんだから、自分勝手になるのは当たり前です。理想は高収入・高身長・高学歴的なことですよね。けれど、あまりにも正直すぎて。よく堂々と大声でそれ言えたなって思います。失言大臣みたいな感じ。

「俺も駄目なとこ直すから」…ここもちょっと引っかかってしまいます。つまり「まずお前が直せ」って言ってるんですよね。「自分の理想のためにお前が変われ」と。
お花畑の考え方かもしれませんが、「お前の全てを受け入れる」とか「愛する人に巡り合って理想を追求するのをやめた」とか「夢が変わった、これからはお前が俺の夢」とか…これJ-POPありがち。『奇跡の人』それ言わない。現実的。
しかもこれ、まだ見ぬ誰かに言ってるんですよ。矯正する気満々で結婚相手を探してるの怖くないですか。この人に巡り合いたいと私は思えないなぁ。

かばうことはできるけれども

「そんな悪意のあるとらえ方しなくても」って思われるでしょうか。でもそんな見方をする人間もいるということです。「ドラマ主題歌であることも考慮しなきゃ」。そんな風に背景を考慮したり深く考察したりする人ばかりではありません。

「歌ってる姿が可愛いから大丈夫」。それも個人の見方の一つですが、「関ジャニ∞可愛い><」は世間一般の見方ではありません。それはもはやファンです(これを機に可愛さに墜ちてファンになるかもしれないですけどね)。あとたぶん、可愛いからOKなんだったら、おじさんが「西野カナちゃんは可愛いからワガママ言ってても許せるな~」って言うのと同じですしね。何度も引き合いに出してごめん西野カナ。

そう、自分に向けて言われたことのショックよりもたぶん、世間に向けて出す歌っていうのが一番気になってるところなんだと思います。

 

アイドルが賛否両論を巻き起こす必要性はあるのか

アイドルはこの歌を歌っていいのか

良いも悪いもなく、歌ってる人が居る以上私がどうこう言うことはないんですけど。この衝撃を機に「アイドルが歌う“べき”歌」について、ひとしきり考え込みました。“べき”というか、それはつまり私の理想の押し付けなんですけどね。

関ジャニ∞って、もうある程度立場のある歌手だと思うんです。ファンやメンバーはまだまだ上があるぞって思ってると思うんですが、世間一般からしてみるとたぶんそんな風には思ってなくて。出す曲は軒並みオリコン1位だわ、5大ドームツアーするわ、レギュラー番組多数だわ、ドラマCM雑誌等で見ない日はないわ。芸能界でもトップクラスの仕事量を誇ると思います。男女合わせてこれだけの実績を持っているアイドルってそうそういません。相当な売れっ子です。

そんな歌手がシングルリリースする曲というのは、いわゆる国民的「ヒットソング」候補です。そしてそのような曲というのは、誰かの想いを乗せる受け皿になる歌だと思っています。売れること。つまり、できるだけ多くの人に気に入ってもらうこと。その点をあえて外すというのは、かなり攻めてるという印象を受けます。

アイドルという職業は、人を否定せず、万人に愛されることを命題としていると思っています。そう考えると『奇跡の人』は国民的アイドル関ジャニ∞が歌う“べき”歌なのかという疑問が沸いてきます。まぁ、「関ジャニ∞は何でも有り」のイメージの浸透かもしれないですが。

リスクを負った国民的アイドル 

広く受ける歌というのはそれだけ間口の広い歌だと思います。この『奇跡の人』は、関西弁であったり、ある程度妙齢の男性目線であったりと、かなりピントを絞った歌。その辺りもチャレンジングです。

年上男性が若い女の子への説教みたく言うから問題っぽく聞こえるんでしょうか?いや、例えば10代の男性に「年上女まじ〇〇〇」みたいな歌を歌わせても、それも間違いなく「年齢で決めつけるんじゃないよ」ってことになりますよね。安易なカテゴライズをしている人が主人公にしているのがやはりネックなんだと思います。

間口の狭い歌をアイドルが歌うということ。そしてこの『奇跡の人』のような偏った見方をする主人公像を国民的アイドルが背負うこと。

等身大の歌を歌う

そもそも等身大ソングというのは、歌い手との同一視を狙ったものだと思います。歌い手のキャラクターを投影することで曲が生きるというメリットがある反面、歌い手にはその歌のイメージが付きまとうというデメリットもあるかもしれない。諸刃の剣です。

歌の主人公≠歌い手ではないのは勿論のことですが、この曲は成り立ち*2からしてかなり関ジャニ∞に寄せている歌です。関ジャニ∞が歌うことで成り立つように作っているとも言えるかもしれません。

実際に、関ジャニ∞のメンバー達自身が『奇跡の人』みたいなことを言ってもおかしくありません。割と「古い」価値観の人間であることはファンには分かっているだろうし、本人達も自覚していてネタにすることもあります(そういうキャラクターにしている)。しかし、シングル曲を大々的に発売するとなればまた別に感じます。社会的立場にある人が「古い」と分かっていてなお口に出すというのが、傍から見るとかなりリスキーで、その「分かっているのにわざわざやる」ところまで含めておっさんっぽい。身の回りに居る一言余計な人を思い出します。

ファンを敵に回す、かもしれない

「おっさんっぽい」というその性質自体はただそれだけなんですが、それを良く受け止めるか悪く受け止めるかは人によります。けど、どちらかというと好意的に受け取りづらい層があります。

それが、若い女性層だと思うんです(勿論個人差があります)。

そしてそれは、アイドル関ジャニ∞のファン層と少なからず重なっています。ファンに対して真正面から喧嘩を吹っ掛けるのってすごく勇気のある行為です。いくら、さだまさしさんが作った曲とはいえ、ファンが曲を聞く時は、さださんじゃなくて関ジャニ∞が目の前に居る訳で。歌詞に反感を抱いたとしても「さださんの曲だから」で軽減できず、複雑な想いを抱いてしまうのではないでしょうか。

あと、私自身は「おっさん」やってるエイトが本来は好きなはずなのに、おっさんの本音みたいなこの歌を受け入れられないこともショックの原因の1つかもしれません。

国民的立場の自覚 

すごーく、語弊のある表現なのを承知で言うと…。

この曲、嵐は歌わない、いや、歌えないだろうな、って思いました。

下手したら炎上するくらいの、ギリギリの線をいく歌詞。むしろ、炎上狙いと受け取られても仕方ないくらいの言い回しを含んでいます。その危ない橋を、嵐(というチーム)は渡らないし渡らせようとする人もいないと思います。

「国民的トップアイドル」には皆の理想の姿で居てほしいはずで。若く楽しく仲睦まじく、人を傷付けることは言わない、問題を起こしそうなことはしない、悪く思われそうなことにあえて飛び込む必要もない。それが嵐に求められている姿なんじゃないかなと思います。

そう考えると、関ジャニ∞は、充分「国民的トップアイドル」なのに何故この歌を歌うのか…。リスクを背負うことで見えてくるものがあるのかもしれません。それが関ジャニ∞としての戦い方、なのだと。その自覚があるからこそ、敢えてこのようなチャレンジをしているのだと。

誤解を生む可能性のある曲

しかし、この曲は1番だけ歌うと間違いなく誤解を生みます。そのことを承知しているからこそ歌番組では2番から披露したのではないでしょうか。それは、やはり世間にはこの曲のきつい部分を見せたくないということだったのではないでしょうか。

歌番組では短い時間しか与えられません。2分弱のTVサイズでの歌唱が慣例であることを意識した曲作りというのもなされています。(関ジャム宮藤官九郎さん回『言ったじゃないか』)

「全部聞けば、いい歌なんだよ」「じっくり聞けば、分かるんだよ」という援護は、確かに正論です。しかし、TVで全部、歌わないですから。じっくり聞ける態勢の人に向けてだけ歌える訳じゃないですから。

少し前の話ですが、森山直太朗さんの『生きてることが辛いなら』という曲が問題視されたことがありました。

生きてることが辛いなら

生きてることが辛いなら

 

1番の歌い出しの「生きてることが辛いなら いっそ小さく死ねばいい」という歌詞が、命を軽んじているのではないかという批判でした。最後の篇になるまで歌をよく聞けば、最重要なテーマは決して「死ね」ではなく「生きろ」であることが分かるのですが、ともかく表面だけをあげつらう人が居たのは確かです。

悪い意味で火がつく

私は、このご時世、ジェンダーに関することに注意を払えない人は、わりと自滅して当然だと思っています。例え心の中での考え方がどうであれ、パブリックな場で不用意な発言をする人はとても危うい人だと思います。少なくとも私は好意を持てません。

「エイトが言うなら許せちゃうな~、集まってやいやい言ってるの可愛いな~、すばるくんの『愛している』※訂正『今でも大好きと』でした最高だな~」って思うことは思います。しかし「エイトなら許せる」ってことはつまり「普通なら許せない」のです。私にとってのエイトだから有りだけれども、本来ならそれを気分よく聞けないはずなんです。好きだから好き、ってことは、好きじゃない人は好きじゃない可能性もあるのです。

そして、世間の皆がエイターではないのです。

結果として何も問題が無くとも、悪意のある人にしてみれば嬉々として問題にできそうなことを、わざわざやる必要があるのでしょうか。火のない所に煙は立たぬとは言いますが、全く火種のないところでも大火事があったような噂を立てられてしまうのが芸能人であり、ジャニーズタレントです。一億総メディア状態のこの時代、誰かが意図的に炎上させるのは奇跡の人を見つけるよりも遥かに簡単ですから。

センセーショナルな見出しのまとめサイト、フィルターのかかったツイッターまとめ、ヤフートップにしつこく現れるジャニーズを目の敵にしてお金を稼いでいるニュースといえないニュース、そして愚にもつかない的外れなコメント…。

よく知らない人がよく知らないままに『奇跡の人』を、関ジャニ∞を、批判することがあってほしくない。もうリリースは決まっているので後は祈るくらいしかできませんが…、本当に、それは起こってほしくないと思っています。

世間には、この歌に気付かないでほしいくらいです。気付くなら、穏やかでコミカルに聞こえる部分だけでお願いします。もしくは、きちんと好意的な態度でもって、深く深く読み解いて頂きたいです。

でも、世の中皆が行間を読めるほどの国語力を身に付けているとは思えませんし、そもそもそんなに優しい目で見てくれる人達ばかりではありません…。

TVで聞くさだまさし節

思うに、先程の森山直太朗さんの件も含めて考えると、フォークソングというジャンル自体が内包している特性が『奇跡の人』という曲にはよく表れているのだと思います。

主人公がいて、個人的な考え(や出来事)を描写する小さな世界観。曲全体をもって物語を語るという流れ。

すごーく、すごーく、さだまさしさんの曲だなぁと思います。

『雨やどり』とか『償い』とか『親父の一番長い日』とか、そしてそもそもの『関白宣言』も。忘れちゃいけない『関白失脚』もですね。どれも曲全体が物語になっている曲です。

天晴~オールタイム・ベスト~

天晴~オールタイム・ベスト~

 

さだまさしさんの曲は「長い」とよく言われます。しかしその分、どの曲もフルサイズで聞きたい曲です。途中で終わったり、抜き出して歌ったりしては台無しになります。

でも『奇跡の人』はそれができない。歌い手が関ジャニ∞だから、どうしてもTVサイズでの歌唱を求められます。CDリリースに伴う歌番組出演はまだ先のことなので、もしかしたらフルサイズ歌ってくれるかもしれないという期待は込めているのですが、難しいでしょうね。

関ジャムをきっかけにフォークソングという新しいジャンルに手を染める、関ジャニ∞の挑戦に伴う課題の1つと捉えることもできますが。苦難に敢えて立ち向かう関ジャニ∞かっこいい…でも不安になることもある…。

それでも歌を曲げない心意気 

この記事は大変興味深いお話なので、ぜひ読んで頂けたらと思います。

www.excite.co.jp 

メディアで流れることの多い1番目の歌詞に注目が集まり「自殺を助長する」と批判を浴びたが、彼自身はもちろんそんなつもりはなかったという。

「僕なんか常に悪口を言われたからね!」という。『精霊流し』(1974年)は「暗い」、『無縁坂』(1975年)では「マザコン」、『雨やどり』(1977年)は「軟弱」、『関白宣言』(1979年)は「女性蔑視」、『防人の詩』(1980年)で「右翼」などと言われた。さだはそうした体験とともに「言う方はしゃれや遊びのつもりでも、言われる方は“えー、歌なのにそこまで言う?”って傷ついたりする。これはいじめの構図」だと解釈して「だから、負けんなよ! このくらいなんでもない。お前は正しいことやってるんだから、胸張ってやれよ!」というようなことを伝えたかった。

森山直太朗さんの『生きてることが辛いなら』が浴びた批判。さだまさしさんのかけた言葉、さださん自身が遭ってきたバッシングの経験。

全ての人に意図した通りに歌が届くことなんてまずありえない。森山さんもさださんも、勿論関ジャニ∞も、十分よく分かっていることと思います。「しゃれや遊びのつもり」が通じないことはよくあること。「言う方はしゃれや遊びのつもりでも、言われる方は “えー、歌なのにそこまで言う?”  って傷ついたりする」ってまさに私がこのブログの最初の方で言ってることそのままです。こういう反応もきっと想定に織り込み済みなのでしょう。

しかしその上で『奇跡の人』を公に出すことにした。その決断はきっと勝算あってのことでしょう。間違ってるかもしれない、と思いながら歌っている訳ではおそらくないのだと思います。

「ドラマの主題歌なんだからドラマに沿った歌にしたんだね」という姿勢で聞く人。関ジャニ∞にアンケートをとって考え方を反映させたエピソードを知り、「関ジャニ∞ってこんな人だったんだ」と思うかもしれない人。「でもこれはさだまさしさんが書いた曲だからどちらかというとさださんの考えだよ」と思うかもしれない人。もちろん「さださんと関ジャニ∞が作り出した架空の人とその奇跡の人の創作物語にすぎないよ」という見方の人。

何が正しいということはなく、人によりけりどんな可能性も存在しています。マルチな才能、活動を「関ジャニズム」と称するように、あえて物の見方を絞るようなことはしないところが関ジャニ∞らしさの表れといえるのかもしれません。

新曲発売の9月頃、関ジャニ∞がどんな風を受けているか。今はまだ戦々恐々とするばかりです。引き続き自分の考えを深めながら、見守っていきたいです。

 

おしまい

 

初の野外音楽フェス「METROCK2017」出演映像がついてくる期間生産限定盤、ぜひとも買ってね。

奇跡の人(期間生産限定盤)(DVD付)

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音源が付いてくる初回生産限定盤もよろしくね。

奇跡の人(初回生産限定盤)(DVD付)

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売れてほしい気持ちはあるのだけど。批判を受けている姿は見たくない。そのへんの心の準備が必要かもしれない。ドラマを観ながら、ツアーに入りながら、しっかり考える夏にしていきたいな。 

 

 

余談

ここからは『奇跡の人』にまつわるTwitter上での風潮についてのひとりごと。

「えー?そんな風に思う人がいるのー?私はそうは思わないんだけどなー」が集団になると、こわい。個人個人がそんなつもりで呟いている訳じゃないとは分かっていても、すごい圧力を感じる。そんな風に思ってしまったというだけでまともじゃないみたい。私が作っているTLなのに、私に向かって流れてくる言葉がこんなに痛いなんて。

「私は気にならないけどなぁー?」「私は能天気だから♡」って言葉がぐさっと刺さることもあるんだと知った。完全に受け手側の私の事情ではあるけれど、時に武器になる言葉なんだと。荒れてる案件に軽く意見表明する時に私も使いがちだから気を付けよう。俺も駄目なとこ直すから。

…やっぱり、この「俺も駄目なとこ直すから」というフレーズ、「お前もまず駄目なとこ直せや」の強制のニュアンスを含んでしまうなぁ。

別に同じ意見の人や同調してくれる人だけが欲しい訳じゃない。誰かの言葉を曲げたい訳じゃない。コントロールすべき情報をできていない自分も自分だし、主流じゃない方に居るってなんかしんどいなぁってそれだけ。特定の誰かを責めてる訳ではないので悪く思わないでください。優しい方ばかりだから「私だ…」って気にされるでしょうけど、本当にこれは完全に私側の問題なので。「嫌なら見るな」は鉄則なのは承知しているし、分かった上で見てるのは自己責任だから。

別件で巡り合った《トーンポリシング》について、また改めて考える機会になった。批判、拒否する人は感情的で話にもならないという否定の仕方。

私を指して言っている訳ではないのは分かっていても、「物事を批判する人」のことを「ブチギレてる人」と称しているのを見かけると、心がきゅっとなる。こんなに長文書くなんて、私もブチギレてる人って見られるのかな。ただ書いて、自分の頭と感情を整理したいだけなんだけどな。

 

*1:さだまさしさんのコメントにある『彼らの「好きな女の子」「苦手な女の子」「本音」と「建前」を基に』の「本音」と「建前」というのは歌詞のどの部分に反映されているのだろうか。特に「建前」。このキーワードを基に聞き込めばもっと違う解釈が見えてくるかもしれない…と考えている。

*2:さだまさしさんが関ジャニ∞に結婚観についてのアンケートを取ったものを基に楽曲制作をした。

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