『なぐりガキBEAT』をフラゲできなかった田舎者なので、今更『Black of night』のことを考えています。ぶらこ可愛いよぶらこ。大したことは書かないよ。
◇関ジャム 1月22日
すっごく良かったです…!!!!!!!!
こないだ「象」の時にもっとちゃんと情報を示してから曲やってほしかった、と嘆いてた勢としては、今回曲前に安田くんが語れて、ゲストの振付師さんや支配人、そして一般視聴者層がその価値を理解してからBlack of nightを放送できたのが嬉しくて、もうそこで泣いてました。 #関ジャム
— 奏ポルカ (@polka8dot) 2017年1月22日
「こないだ『象』の時」っていうのはこれのことです。↓
いっこ気になってるのは折角優くん出てくれたのに「来し方行く末」発売中って出さなくてよかったのかな?プロモーション兼ねてるのかと思ったんだけどなー。「ツアー開催中」でも良いのに。『象』新規流そうぜ!さすがに「関ジャニズム」発売中!は出せないけどw #関ジャム
— 奏ポルカ (@polka8dot) 2017年1月8日
今回のセッションにしても「象」の初出が関ジャニ∞の2014年のアルバム「関ジャニズム」、高橋優初提供曲、セルフカバーが高橋優2016年のアルバム「来し方行く末」に収められてて8人でのセッションは初!とかさ。もうちょっとその価値を丁寧にお知らせしても良かったと思う。 #関ジャム
— 奏ポルカ (@polka8dot) 2017年1月8日
安田くんの制作意図やディレクションの範囲をパフォーマンスの前に本人の言葉で語れたのは大きいと思いました。雑誌等では語っていますが、こういうことこそ毎度細かくしつこく話すべきだと思います。好きなのは、古田新太支配人が「ヤスが振り付けしたん!」と反応してくださったところで亮ちゃんが「振付の世界観を章ちゃんがまとめて」って注釈を入れたところです。緊張しているのか言葉足らずな安田くんを、誤解されて誇大解釈されないようにきちんと訂正してあげたところにぐっときました。よそいきの全国レギュラー番組で「章ちゃん」呼びなのも(個人的に)ポイント高い。村上くんと2人で安田くんのトークを支えてあげていて、それが余計に緊張感と期待感を高めました。
あと、振付師の方(s**t kingzのoguriさん)について三浦大知さんが説明して、他の振付師さん達が「あぁ」って反応してくださってたのも嬉しい。(勿論ご高名な方だから当然とは思いますが。)言い方は悪いですが、楽曲前に箔が付いたというか。「振り付けの世界」というテーマである回において、携わった人物をしっかりと明かしてからダンスを見せるのとそうでないのでは大違いだったと思うので。このくだりを残して放送してくださったスタッフさんGJです。
それにしても、ベストな回にベストな曲を披露できたと思います。ここまで、世界観の構築にこだわった曲も少ないだろうし、それをメンバーが総合ディレクションしていることも少ない。放送テーマと披露楽曲のコンセプトが合っていたところまで含めて、本当にぶらこはできる子。演出も頑張ってくださっていて、関わった誰もがどこまでも曲の世界を尊重してくれているのが嬉しい。
◇曲の解釈
私の中のやつね。深読みとかじゃないよ。
私はBlack of nightは「夢」の世界の感覚だと最近思っています。
私のBlack of night解釈は「夢の世界」で一旦ファイナルアンサー出してる。夢だと認識した途端不自由になるあの世界。もどかしくてもがき苦しむ覚醒の狭間。現実に最も近くて最も遠い。歌詞が抽象的なのがまた、夢の理不尽さ、不可解さ、不自由さにしっくり来る。
— 奏ポルカ (@polka8dot) 2017年1月22日
あ、そうか。タイトルもBlack of night=夜の闇だから、夢って解釈はあながち遠からずかも。「綺麗だけど思い通りいかない世界」という悪夢だと思う。
— 奏ポルカ (@polka8dot) 2017年1月22日
「夢」というのは、寝てる時に見る方の夢です。
ちなみに、私は夢をよく見ます。そして、起きた後もよく覚えています。一晩に複数個見ることもあります。三大よく見る夢が、①遅刻する夢(時間の進み方がおかしい)、②大学受験期に試験勉強が間に合ってなさすぎて焦る夢(センター試験直前なのに数学まだ手付けてない!とか)、③車の運転が思うようにいかない夢(ブレーキに足が届かないとか対向車線にはみ出してるとか)です。不安要素が夢にダイレクト。
そういう、寝覚めの良くない夢を見ている時の覚醒間際、もがき苦しむ感じが、『Black of night』を聞いたり観たりしている時のとらえどころのない感じに似ている、と最近気付きました。そう、私にとってこの曲は「とらえどころのない曲」なんです。
◇言葉選びの違和感
以前、シングルCDの感想記事の中でこういうことを書きました。
どうしてもやっぱり気にかかってしまうところがないとは言えません。それはおそらく私と彼の感覚の違いだし、曲先、あるいは同時に作っている(推測)以上、仕方ないかなって気もします。素直に受け入れられず、「安田章大だから」というフィルターを通さないと私の中に浸透しない違和感はあるのだけど。
◆どうしても気にかかってしまうところ
この、「どうしてもやっぱり気にかかってしまうところ」というのは、書きながらとても悩んだんですが、明言してしまうと悪口っぽくなるなぁ…と思って濁しました。発売直後でもあったし。思い切って今回は書いてしまいます。(批判ではないので、そう見える方はごめんなさいしてくださいね)
それは、「詞の言葉選びが適切なのか?」ということです。
特に、一番気にかかるのがサビの文法です。単語の順番だったり名詞と動詞が対応していなかったりするのがどうも気にかかって。
Black of night
謎に包まれた この物語
だれが解くことが出来るのだろう
腕の中でもがく姿は 今にもこぼれ落ちそうで
Black of night
いつからか 元の世界見失った 僕たちは
永遠に出られない 暗闇のラビリンス
・物語→だれが解くことが出来るのだろう
直前の名詞「物語」に「解く」という動詞が対応していない。解くのはその手前の「謎」。
・ 姿→こぼれ落ちそう
直前の名詞「姿」に「こぼれ落ちる」という動詞が対応していない。「腕からこぼれ落ちる」ほど「もがく」ということか。
・僕たちは→ラビリンス
We(S) are(V) the labyrinth(C). 僕たちがラビリンスなの?それとも「僕たちは 永遠に出られない。(ここは)暗闇のラビリンス。」という意味かな?
うーん、どうも一瞬引っかかるんですよね。あるいは、ぼんやり情景は浮かぶけど突き詰めると気になる。作詞なので、倒置したり省略したりというのは表現技法の一つとして当たり前なのですが、どうも日本語が練られていない印象を受ける。
書いてみるとそこまで説明不能ってほどでもありませんでしたし、難癖に見えるかもしれません。聞く人によっては、当たり前にそう捉えてたけど?って方もいらっしゃるかもしれませんね。あくまでも私は気にかかる、というだけなので。
◆「違和感」
これらの、言葉のちょっとした違和感を、曲を聴いた当初は「安田章大的」として処理していました。しかし、「夢」の感覚を思い起こしながら曲を聴くと意外なほどしっくり来たんですよね。現実と、あるいは直前の出来事との齟齬が当たり前に生じる世界。起きてから「いや、なんで途中からああなったの!」って思うこともあれば、覚醒しながら「うまく進行しない…」って思うこともある。なんだかそのもどかしい感じが、この『Black of night』の歌詞の不安定さに合っている。意図的なものかどうかは分かりませんが、違和感が生じていることで非現実感が増しているように思います。
そう考えれば「君」と「あなた」が存在していることや、「少女」なのか「悪魔」なのか正体が掴めない感じも納得できるというか。夢の中で意図的に行動しようとしたら前後左右天地が分からなくて先が見えない、あの感覚がこの曲によって蘇る気がしてきました。もしかしたら、安田くんが夢で見た世界、あるいは夢によって得た感覚を詞にしたのかもしれないと思いました。
◇あの世界の妄想
前述の感想記事より『Black of night』妄想。
一つだけ裏設定で妄想したヤスくんは、積極的に見えない壁を壊そうとするし諦めかけた仲間をいつも明るく励ましてたりするんだけど、実はこの世界の絶望の鍵を一人だけ勘付いてしまって誰よりも深く闇を抱えてたらいいし、なんなら黒幕でもいい。
安田さん他人の悪夢をコントロールできる能力とかあればいいのに。私の中の厨二さんにとってドンピシャツボなんですけど。 あとね、余談だけど、前髪のコントロール能力で私はやられましたよ。MVでも関ジャムでもどうしてあんなに見事に左目を隠せるの?
◇ダンスは何故か目が滑る
MVでも、ライブでも、そして関ジャムでも。なんだか、いつも決まってぼんやり観てしまうんですよ。どこを見るとかどこが良かったとか本当に全然見えてなくて。関ジャム後にtwitterで、「ここが良かった!」って切り取り動画がまわってきても、「こんなとこあった!?」のオンパレードでした。本当に。今まで見えなかったものしかなかった。
そしてそれに対するコメントにまた目からうろこ。そのコメントとは「自担しか見えてなかったから初めて気付いた!」系の言葉。「自担だけだなんて…」って非難する気持ちを抱いた訳ではありません。むしろ、いつも自担すら見えてなかった自分に驚いたのです。
では、いつも私はどこを見ていたのだろうか、と考えてみると、センターにいるメンバーないし画面中央でした。要は、映されたものや見せたがっているものをそのままぼーっと眺めているということですね。
私ダンス見る目ないのかなぁ…って思いました。思えば、ダンスナンバーと言われるものほど、何故か目が滑るんですよね。『ブリュレ』とか。振り付けの中の動きのごく一部しか目に留まらない。それともそういう風に作ってあるんだろうか?一部の動きを特徴づけるために他は流れるように作ってあるんだろうか?『ハダカ』とかだったら明確な腕の振りがあるので振り真似しやすい。『罪と夏』とか『がむしゃら行進曲』とかそういう系の曲は全然見えるし踊れるんですが。一概に振り付けといっても千差万別だなーと思います。そして、自分はその中でも、よりダンスっぽいものを見る目を持たない、とそういうことですね。
『Black of night』もいざ自分でフリコピしようと思うと意外と歩いてたり、フリーだったりする時間が長いなとは感じるので、バリバリのダンスナンバーという訳でもないなぁと思うのですが。ステップが少なかったり。そういう種類のダンスなんでしょうけどね。
なんだろうなぁ、綺麗すぎるんですよ。動きも色も画面も顔も!言いがかりですけど(笑)全部綺麗すぎて目が滑る!でもこれだけ「作る」ことを突き詰めているのに、歌声はいつも生っぽいなぁと思うんですよね。それは、リップシンクじゃないという意味じゃなく。こういう系の楽曲、つまりジャニーズっぽいJ-POPにしては、歌声の質感がやたらにリアル。もっと表面がつるつるでもいいくらいなのに。その辺りも安田先生のディレクションが入っていそうですね。でもその艶やかさがまたゾクゾクッとさせてくるんですよねぇ。
◇安田の気持ちに応え隊
MV撮影のメイキングでも思ってましたが、全員が真剣に取り組んでるのがいいですよね。パフォーマンスは常に大真面目。『Tokyoholic』しかり、メンバーが制作の中心にいると他のメンバーの応え方が違うなぁ。真面目に頑張ることで立役者を盛り立てている感じがします。あと、『なぐりガキBEAT』では、主役の横山くんのために、これまた周りが真剣に取り組んでいる印象を受けます。笑顔系ワチャワチャナンバーとはまた少し一線を画しているような。真剣に楽曲表現をした結果の笑顔というか。なんかそういう、誰かのための曲、誰かからの曲って、皆の気持ちが揃っている感じがしてすごく好きです。
…と、所感を書き上げて一区切りついたところでタイミングよく『なぐりガキBEAT』が届く!はずだったのに!まだ来ない~!はやく楽しみたいな(´;ω;`)ではまた!