きたか、と指が冷えていく感覚。予め待ち構えていても受け止める時の大きな衝撃。泣いて、泣いて、笑って、また未来を見せてくれる彼らへの愛。その後に、ぽこんぽこんと浮かんでは消える、好きな顔とか、言ってた言葉とか、今見たかったその姿とか。
亮ちゃんは、心底カッコよくて、こんなカッコいい人いるんだ…って、今までに何度も見たことあるくせに何度でも思うくらいカッコいい人です。
それと同時にものすごくかわいくて、基本的には亮ちゃんって呼んでるけど心の中では"りょちゃ"だったり"りょんぴぴ"だったりもうウサギさん飼ってるような感覚でかわいいね、かわいいね、よくできたね、たのしかったのよかったね、がんばれがんばれ、ってデロデロに甘やかしてます。下がった眉毛とにやって笑う口元がそれはもう大好物です。(ていうかそもそも34歳男性を亮ちゃんとしか呼べないのって一般的な感覚とはずれてますね。)
更に、仕事人としてとてつもなく尊敬しています。歌詞を書かせれば、テーマは秀逸、言い回しはオシャレ、ちょっとした皮肉やジョークを織り交ぜて、彼にしか生み出せない、そして彼らが歌うからこそ良い、そんな歌を作ります。作曲のセンスも良い。ピアノやギター、サックスにベースにハープとなんでも演奏できる。スケジュールをさばくために自ら身を切るし、なんにでも手を抜かない。喋りの感覚も有る。英語の発音は抜群だし生きた英語を聞き取れる。仕事とプライベートのメリハリはハッキリさせて「頑張る。」も「楽しむ。」も自分の言葉でもって伝えてくれる人。
歌、上手い。演技、上手い。ダンス、上手い。どれも上手いなんてもんじゃない超上手い。色気で紙面を彩るし、茶目っ気でお茶の間を笑顔にする。さみしがりやな面も、孤独と共に生きている風情も、全部、全部、彼の魅力。
どこまでいっても褒める言葉は尽きないのだけど。
そんな彼は、関ジャニ∞じゃないらしい。
よくわかんないけど、もう、最後の瞬間は終えていたんだって。
正直、全く予測もつかない、というわけではなかった。
私自身はあの媒体を報道とは思っていないので「信じる」というより「真に受ける」ことはなかったけども、これだけ長い間やいやい言われてたら関係ない人から耳に入れられることもある。
「ほら、噂は本当だったじゃん」っていう人。
ちがうよ。何もなかったんだって。公式だけ見てれば、何もなかったんだって。
彼らはずっと前向きに、楽しいことだけをくれてた。これが本当。「本当」は、ステージの上にしか無かった。十五祭を楽しいものにしようと決めて、作って、差し出してくれたものこそが真実のカケラだったと今でも言える。強がりなんかではなく、心から。
でもね。そう思っていたからこそ、少しショックを受けた。
今まで言えなかったのが心苦しくて、どこか気付いてほしい気持ちもあったんじゃないか、なんて。もしかしたら、今日のこの報告をもって、十五祭の最後の演出として、答え合わせにしたかったんじゃないのか、なんて。
期間中に彼らの方から小さく出していたかもしれないシグナルに、今打ちのめされている。そんな祭りのあと。
ただただ楽しかった十五祭。光が強いほど、影は色濃い。
いろんなことを考えている。
てっきり6人の最後の姿を見せてくれる動画だと思って開いたら、そこに映っていたのは既に5人で、亮ちゃんの名前は一度も出されることもなくて、ただただこれからの関ジャニ∞を応援したくなるだけで。
47都道府県?思わず笑っちゃったよ。好きって思った。
けど、時間が経つとそらおそろしくなってきた。
なんで単独だとしても亮ちゃんの声が聞けないのとか。自覚があるくらいとても忙しいのに更にスピードアップして走ろうとするのはなぜなのかとか。
公式発表で、安田さんの身体事情をあんなにも全面的に押し出しているのに、更に忙しくなろうとする?亮ちゃんだけじゃなく全員が、これからもアイドル生活を続けるうえでずれているものがあると感じているようなのに、それでもなお、更にぎゅっとしようとする?
先が見えない旅。今までだってもちろんそうだったけど、今度の航海はまた更に険しい。ハードルを上げすぎて後に引けなくなった冒険家のよう。
全部杞憂に終わりますようにと願うことしかできない。
走ったその先に何を見据えているのかなんて考えたくもない。
ましてや、何に追い立てられているのか、なんて。
関ジャニ∞が、心からやりたいことってなんなんだろう。
話し合いを重ね、それが明確になったからこそ、亮ちゃんは違う道を歩き始めることにしたし、5人は関ジャニ∞を続けることに決めたんでしょう?
人それぞれやりたいことが違うのって、当たり前じゃないですか。
だからむしろ感心するんです。それぞれやりたいことがあって、調整のうえでそれをやろうとしてるんだったら、ジャニーズのアイドルグループって凄くないですか?
酸いも甘いも知ってきた、旧知の仲の大の大人が首をつき合わせて話して、それでもなお折り合いがつかなかった「したいこと」「したくないこと」はなんなのか。「できること」「できないこと」は何故生まれてしまうのか。
今はそれが知りたい。そしてたぶん、知ることはない。
“ココロざらついたなら 走ればいいんだ”と歌っていた彼ら。
ファンとして、走り続けている彼らに不安はある。もう止まれなくなっている「自分たちのものだけではない関ジャニ∞」を愛することで、彼らの不健康に加担してしまっているのではないかという猜疑心もある。
だけどそれでもなお、信じてついていくしかない。
そんなに必死になってまで「一歩先」を行かなくていいよ、一緒に歩いて行こうよ、とこちらから想いを届ける術はないのだから。
そしてたぶん。彼らが望むスピードに、振り回されるのがオタクの本望ってやつでしょ。ね。
関ジャニ∞のこと、ずっと好きです。今日も好きです。明日もきっと好きです。
これは呪いではなく、誓いです。今この瞬間が永遠ということです。
笑顔を届け続けてくれてありがとう。
夢を見させてくれてありがとう。
あなたたちがいたから!今の私がいます。
だから、あなたたちがいてくれる限り!これからも私はいます。
錦戸亮さんのこと、大好きです。
お身体に気を付けて。焼きそばと唐揚げだけじゃなくて、お野菜もお魚もバランスよく食べてね。
これまでの日々が、あなたの先行きに暗い影を落としませんように。ただ糧となり、未来への切符となりますように。
どうか、孤独な夜も、寂寥の夜明けも、できるだけおとずれませんように。幸せの光が降り注ぎますように。
まだ、お別れをしたくないけれど。
今言いたいことはこれだけ。
今日までありがとう。
愛してます。
I love you。
「…最後はやっぱなんか、さみしかったね。」