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田村芽実solo musical『ひめ・ごと』感想と考察

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めいめいの『ひめ・ごと』配信の話をします!

まとまりのつかない感想と、つたない考察。

 

 

『ひめ・ごと』上演まで

概要

田村芽実ソロ配信プロジェクト『ひめ・ごと』

販売期間:2021/3/4(木) 21:00まで

配信期間:2月27日(土) 20:00~3月4日(木) 23:59まで

https://t.pia.jp/pia/event/event.do?eventBundleCd=b2169509

 

 

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motion-gallery.net

 

クラウンドファンディングで資金調達に成功し、4年半あたためた企画をこのタイミングで配信ソロミュージカルプロジェクトとして敢行。

 

わたしは石油王ではないので、いくらファンとはいえ、見知らぬ作品にぽんと1万円出すのはなかなか厳しいものがありました。

ましてや目標金額自体はわずか5分で達成しており、今更自分がお金を出さなくてもな…自分が出資する意味合いが軽いし…などとも考えていました。

しかしひとたび「これからに対する投資」ではなく「これまでの感謝」の意味合いを含めて考えると、あ!1万円分のリターンなんて既に受け取ってるレベルだな!?と気付いたので、微額ながらチケットセットコースに参加しました。

結局、コレクター:1234人、総額:28,178,000円というとてつもない達成だった訳ですが、そこにわずかでも自分の気持ちが入り込んでることはやっぱり嬉しいです。

何より、めいめいが喜んでいるのがうれしい。

 

インタビュー

entamenext.com

あとこれは理由が分からないんですけど、昔からの私推しだった方ではなく、むしろ箱推しだったり他のメンバー推しだった人が今の私を応援してくださったりすることもあって……。ちょっと不思議な感じですよね(笑)。でもうれしいです。」

めいめいのインタビュー、この部分が一番響きました。まさにわたしもそういう人物だし、そんなわたしのことを見つけてくれてて嬉しい。

めいめい一推しを名乗ったことはない自分だけど、めいめいの歌が好きで今も音楽活動をフォローしているし、舞台女優としての活躍も本当に楽しみにしています。(ヘアスプレーは本当に残念でした)

 

別のインタビュー前編・後編

entamenext.com

entamenext.com

 

 

『ひめ・ごと』配信を観ての感想

※ネタバレ無し※

 

★★★★★ 星5つです!!!!!

 

★…音楽よし

・ナンバーは6曲、どれも良い!名曲揃いと思う。歌詞も良いし曲も良い。伴奏も心地良い。好き!!

★…脚本よし

・あらすじをなぞる劇ではなく、観る人ごとに解釈の余地があるお話。シンプルな設定の中にスパイスが効いている。

★…演技よし

・とにかく台詞が聞き取りやすいことが素晴らしい。圧倒的な台詞量で初見なのにすっと台詞が入ってくる。登場人物は一人なのに、表現の幅が広く飽きない。

★…世界観よし

・こだわり抜いた小部屋の可愛さ。レトロな洋館の中に衣装も小物も好きなテイストが詰まっていて、好み。ビジュアルだけでうっとりできる。

★…感性よし

・繊細な感情を豊かな日本語描写で言語化されている。歌や音楽の輝かしいエネルギーに溢れている。言葉に心がこもっている。見終えた後に「人生は素晴らしい!音楽って素敵!ミュージカル大好き!!」との想いを胸に、頭の中で口ずさみながら劇場を後にするあの体験。が、できる演目。

 

一人芝居っていいよね!『ガラスの仮面』でも「ジーナの青い壺」や「女海賊ビアンカ」や「通り雨」最高だもんね。

以前からめいめいのことは"千の仮面を持つ少女"として存分に推しておりましたので、その北島マヤっぷりが遺憾なく発揮されたお芝居として大満足でした。

舞台装置の転換がなく、小道具を使って進行していくところは大好きな『ダディ・ロング・レッグズ』(2人芝居)のようでこれまた好み。

配信なんだけどカメラワークが独特で、固定じゃなく、舞台全景の引きカットも少なく、時たま画面が揺れるし演者に近付くし、ちょっと癖がある。照明がかなり明るめで生々しいのが良くも悪くも特徴的。

髪の乱れ等を観察している限り通しで演じているのが見てとれて、おそろしい子…!となった。

 

めいめいのライフワークにしてほしいし、名刺として引っ提げるには充分すぎる出来。

今後も第2弾、第3弾…と観ていきたいし、その時々でめいめいの表現したいと思うものを知りたい。何より、劇場での『ひめ・ごと』本公演には是非とも入りたいと願う。

 

配信で、更に録画なのに、遠巻きな感じがしなかった。

配信映像を撮影している場所が「〇〇劇場」や「△△ホール」じゃないのが逆に良かったのかもしれない。自宅と現地との距離を感じなかった。

「ここで物語が終わり、パッと照明が明るくなって、今、拍手が降り注いでる」と実感する瞬間があった。

感覚として、自分の周りに同じようにスタンディングオベーションしている人たちがいて、高揚感を共に味わっている空気があった。

画面越しの上演であり、そこには舞台も客席も緞帳もないのに、空間を感じていた。

めいめい一人の姿を観るだけならばインスタライブだって同じなのだけど、そういう「ただの配信」ではまるでなかった。

人生に刻むミュージカルに「新たに出会った」ような、そんな感覚。新作ミュージカルの傑作の初演に立ち会えたことが、まず嬉しい。 

 

 

 

※ネタバレ有り※

考察

 

 

 

・構成について

物語は4章に分けられる。それぞれに仮題をつけてみた。

 1章 恋のひめごと(夢1)

 2章 殺意のひめごと(夢2)

 3章 大人のひめごと(夢3)

 4章 赤い服のひめ(エピローグ)

このうち、1章~3章が夢の中のひめで、4章だけが現実。というのがわたしの見方です。観る人によっては、1章も現実だととらえる方もいるかもしれない。

4章で初めて外部からひめちゃんについて語られることで、種明かしになり物語の肉付けがされるという構成。真相ははっきりと明かされないけれど。

 

・ママについて

最初に違和感をおぼえたのは、ママの存在だった。

朝ご飯にしようと声をかけたのち、一向に朝食に向かわず時間を忘れて歌い踊る娘にいぶかしむ様子がないこと。

ママ来ちゃうよ、テープに吹き込んでいる内容きかれちゃうよ、とハラハラしていたのにそのような展開が無くて、これは「ご都合主義」なのか、それとも隠された意味があるのか…?と引っかかりをおぼえた。

そして、暗転の後の2日目の朝。 

「ひめちゃんおはよう。朝ごはんにしようね」何処か無機質なママの声。

台詞が同じではなく少し変化があることで、ママ側の日時は進んでいっていることが分かる。なのに、ひめちゃんの方は「今日、行く」ことを繰り返す。同じ1日の中にずっといる。

これが仕掛けなんだと分かった。 

 

・時代と時間について

時代背景が読み取れないのはわざとなのかな。舞台が昭和なのか、ひめちゃんが昭和が好きな女の子なだけなのか、いまいち明確な描写が無い。

「昭和歌謡=めいめい」の図式が刷り込まれているからこそ迷う。

昭和を生きる女の子をやっていてもおかしくないし、ばりばりに現代(平成後期~令和)の女の子だけど昭和に憧れてテープレコーダーを愛用しているのかもしれない。

あるいは、昭和からずっと眠ったままなのかもしれない。様々な見方ができる。

というのも、百恵ちゃんの話をする時にリアルタイムではなく「引退セレモニー」ありきで話しているのが後追いのファンっぽい。

ところどころ、ひめちゃんの語彙が現代のもの(「空気読めてない」等)なのもモヤっとするポイント。現代語でのレトロ劇だと言い切ってしまえない不思議な違和感がずっと漂っている。

 

どことなくいつも時間感覚が不思議で、3ループ目ではあっという間に夜になっていた。

その「感じ」を「夢を見ている」の表現だとわたしはストレートに受け取っている。

2ループ目の、毒薬が無い!無い!どこにも無い!と大慌てして探すがうまく見つけられなくて焦るあの「感じ」も、まさにそうだろうと思う。

 

「ループ」と呼んでいるが、ループという言葉は正確ではないかもしれない。現実時間は流れているけど、意識がずっとあの1日を繰り返しているのではと思う。

つまり「行く」日。事故から分岐して、現実はそのまま月日が流れるけど、夢の中では翌朝にならずに前日の朝からをずっと繰り返しているのではないだろうか。

 

・夜について 

ひめちゃんの「そういうこと」について3つの可能性を考えてみた。

①ひめちゃんは行って、会った

現実のひめちゃんの行動は、夜21時に行った。自転車を出して、いつものようにスピードを出して街を駆けた。ナギくんと会って「そういうこと」をした。朝ご飯までに家に帰りママにおはようを言うため、明け方に家に戻ろうとした。そして、車にはねられて意識を失った。

この説は、以下の台詞から推定したストーリーです。

「自転車、門から出せるかなぁ」→ひめちゃんが夜外出する時に、自転車で行ったことがわかります。また、高校への通学時にスピードを出して自転車に乗っていることが分かる台詞もあります。そのため、自転車に乗っている時に危険な目にあいやすかったのではないでしょうか。

「朝までには帰ってくる、朝にはママにおはようを言う」→ひめちゃんが出歩いた時間帯は、ナギくんに会いに行った夜21時頃と、洋館に帰ってくるための明け方であることがわかります。

「なんであんな時間にあの道、自転車で走ってたのかしらねぇ」→4章のおばあちゃんの台詞です。

ナギくんの家への行き帰りのどちらで事故にあったのか、はっきりと断定する台詞はありません。「行く」ことに重点が置かれたストーリーになっているため、行きがけに事故にあったようにも見えますが、わたしはそれはミスリードではないかと考えます。

ひめちゃんが事故にあったのは明け方ではないかというのがわたしの説です。

 

というのも、4章、眠るひめちゃんの服装が答えではないかと思いました。

 


田村芽実 / いちじく Music Video

 

めいめいのオリジナル曲『いちじく』では、少女が徐々に大人の女性に近付くさまをビジュアルの色の変化で表現しています。今回、『いちじく』と同じ赤澤えるさんがビジュアルディレクターを務められているということで、共通する世界観の可能性は高い。

21時前、ママの言いつけを守り洋館で夜を過ごしていたひめちゃんは白いフリルたっぷりのネグリジェを着ている。そしてカーディガン(色付き)を羽織って出掛ける。この時の服装と、4章で横たわるひめちゃんの服装は違う。真っ白なドレスから真っ赤なドレスへ。そこには必ずや何かしらの意味を持たせているはずです。

わたしは、ひめちゃんはその夜ナギくんと結ばれ、赤く色づいたんじゃないかと思うのです。

だからこそ、事故にあった時間帯は「そういうこと」の後であり、ひめちゃんが大人になったことを暗示していると受け取りました。

 

②ひめちゃんは行けなかった

「ナギくんに逢いたい」とわざわざ言う台詞がある、ということは、実際には逢えなかったのかもしれない、と感じました。

そして、1章から3章の夢において何度も何度も「私、行くんだ」という台詞が繰り返し語られることが気にかかりました。

つまり、夢の中で何度もその1日を繰り返しているのは、現実で行けなかった無念があるのではないかという説です。

何かしらの理由があり行けなかったのか、あるいは行かなかったのか、それは分かりません。行きがけに事故にあったのかもしれません。

この場合は赤いいちじくは関係なかったということになりますが、一つの考察です。

 

③ひめちゃんの恋なんてなかった

ナギくんとの恋が成就していることは全てひめちゃんの妄想説。あるいは、そもそもナギくんまぼろし説。ぬいぐるみとお喋りするような子だから、架空の恋人を作り上げてもおかしくはない。

ナギくんは、声ですら登場しません。

不思議じゃないですか?ナギくんは手紙で気持ちを伝えてくれるのに、ひめちゃんは声のお手紙でお返事をするのです。

もちろん、メタ的な意味で言えば一人芝居を成り立たせるために「テープレコーダーに吹き込む」ことで語らせているのが主な理由なのでしょうが(笑)、ナギくんが実在する証拠は劇中に登場しないのです。

転校生のナギくんなんていなかった。転校生のナギくんはいたが恋人同士にはならなかった。ひめちゃんはもしかすると学校に行っていなかった。ひめちゃんは…実在するのか?

疑い始めるときりがありません。一人劇ってこわいですね。客観性がない。

 

・2回目以降観るとこわいところ

ひめちゃんのおしゃべりで重要なキーワードをそれとなく語っているように思える箇所をピックアップしました。

→19分頃から

「この世界で生きている皆から私だけが取り残されてひとりぼっちになった気持ち」

「お城の上で閉じ込められて一生外に出られないお姫様みたいな」

「もしかして私だけ絶対に出られない箱の中に置き去りにされて毎日同じ生活を繰り返しているんじゃないかって」

「毎日、毎日、新しいことなんて何にもない、時間が止まっているみたいな町で」

「大切なことは何にも見ないまま、知らないまま、一人っきりで枯れて消えていくんだ」

「私は、他の誰とも一緒に生きてない」

「きっと今私が居なくなってもこの世界は何にも変わらない」

「なんか、私、ただ息しているだけで、まるで死んでいるみたいだなって」

→「例えばこれで二度と会えなくなったとしても」

→「ナギくん、今行くね」

あと、「I dream 夢見ること」がテーマソングになっているのもなかなか。最初と最後に流れる鼻歌「I dream」。強調される「夢見る」のキーワードの意味深さ。 

意味が分かると怖い話みたいになってますね。これらがダブルミーニングに聞こえるのは、考えすぎなのか。

 

 

その他感想

・感動した部分について 

声だけの出演なのに、ママにぐっときたところが2箇所もあった。

まずは、眠るひめちゃんの心の声を受け取っていたこと。毒殺ひめちゃんが叫ぶ「あの人に家を売らないで、その人の言葉を聞かないで」的な言葉が、のちのち「この家も土地も売らない、あの子に言われた気がしたの」というセリフでママに届いていたと分かる。

あと、言いつけを破って夜間に出歩いていたひめちゃんのことをママは「悪い子」と言わなかった。ひめちゃんはママにばれることを心配していたし、ママからの決別を覚悟していたけれど、ママは優しく信頼して受け止めていた様子。

「あの子のことだから何か本当に大切なことがあったのよ」と理解してもらえて、ひめちゃん、良かったね。

 

・めいめいの提示する「ミュージカル」像について

『頭の中はお花畑』の歌とっても好きです。

ひめちゃん最初くまちゃんに怒ったりするところちょっとこわいキャラクターだなと思ったけど、曲に入るとひめちゃんのエネルギーが歌と踊りに向かうので安心して観ていられた。 

このナンバーはめいめいがこのミュージカルを作るにあたり意識したというサウンド・オブ・ミュージックのマリアっぽさがあって(「自信をもって」「私のお気に入り」あたり)、いかにもプロジェクト第1作、これまでの憧れを全て詰めたような、めいめいが観て育ってきた、そして育ててきた「ミュージカルの登場人物」像が投影されているよう。

部屋を見て分かるように家族からの愛に恵まれていて、ナギくんと恋を知って、夢見ることがやめられない。物語の主人公像のかたまりみたいな女の子。

 

・一人芝居の上手さについて

ナギくんへの語り、恋の表情がとても良い。どれだけ大事な人であるか伝わってくる。

言葉が豊かで、確かに洋物翻訳ミュージカルでは出せない味だと思う。

G線上のアリア、曲名を語らずピアノが息を合わせて入ってくるところの雰囲気が好き。 

ヤジマさんの語り、目つきも声色も何かもがめいめいじゃなくなる。この「憑依」こそがめいめいの醍醐味。

殺してやるの歌も流石すぎる歌いっぷり。毒を持つ植物の名前を並べてあるのがいい。

 

・初めてを表す言葉について

重大なテーマの一つである処女喪失を「そういうこと」という言葉で表現しているのが奥ゆかしくて良い。「ひとつになる」「溶ける」の甘い言葉選び。どぎつくないのが持ち味。

 

・テーマである「I dream」の素敵さについて

「I dream(リプライズ)」の豊かな夢見力。これこそまさにミュージカル!

"生きるって喜び溢れる素敵なこと"

"夢見ることはやめられないこれからもずっと"

このミュージカルにおけるこの曲がどんな意味を含んでいようと、この曲単体での素晴らしさに酔いしれられる、カーテンコール。

めいめいが高らかに歌い上げて手を広げると、心が反射的に感動して拍手を送りたくなる。ミュージカルという演劇ならではの高揚。音楽って素晴らしいの感動と生きるって素晴らしいの感動は繋がっている。 

めいめいの表情は千の仮面ほどあるけど、一番はやっぱりキラッキラ輝く夢見る瞳が好き。

 

 

めいめいプロジェクトを応援できる幸福

 

めいめいがやりたかったことが実を結んだこと自体まず嬉しいけど、実現したいとずっと言ってたアイディアがわたしにとっても素晴らしいと分かったのも嬉しい。

素晴らしいお芝居を観た夜はルンルンしてわたしも歌いたくなっちゃう。音楽が頭の中で舞い踊る。その体験を人生において新しく増やしてくれたのがめいめいの自主プロジェクトだなんて、なんたる幸福。

「やりたい!これは絶対素晴らしい!」って自信満々な様子をずっと見守ってきただけに、実際わたしが観たら価値観合わなかったらどうしよう辛いなってハラハラしてました。だけど100%心から「観られて良かった!」と思える、価値のあるものでほっとしました。

めいめいの価値観が好きだなと思えたこと、そして彼女のやることの「間違いない感」をまた強められて、ますますファンになりました。

今後のプロジェクトも楽しみにしています。『ひめ・ごと』大成功おめでとう!