今週のお題「下書き供養」
2021年1月10日、劇団四季『コーラスライン』を観劇しました。
場所は、神戸国際会館こくさいホール。全国公演のうちの1公演です。
客入りは凄まじいものでした。
なにせ客席キャパシティーは約2000名、それを間引かずに販売し、見事満席です。
久しぶりに左右前後のお客さんにぎっちりと囲まれて、居心地が決して良かったとはお世辞にも言えません。
ただ、開演前の人々の熱気は、新鮮でした。
大勢の人が一度の時を目掛けてやってきて、家族や友人たちと開演に興奮している空間、そのざわめきこそが稀有に感じました。
他人と、時間と空間を共有するということ。
生で観劇するってこういうことだよなぁ、と泣きそうになり一人座席に沈み込んでいました。
こんなにも、こんなにも待ちわびてる人がいる。ファンはたった1度を楽しみにして足を運んでる。それでも毎日の劇場は埋まらない。不要不急の言葉とはこのことだ。
— ポルカ (@polka8dot) 2021年1月10日
人々の非日常の興奮が伝わる。それがつらい。
— ポルカ (@polka8dot) 2021年1月10日
何も無い毎日だと、ただ平坦に日々が進むのではなく徐々に気持ちが下がっていく。上げるためじゃなく、保つために、幸福の刺激は必要。
— ポルカ (@polka8dot) 2021年1月10日
『コーラスライン』までの道のり
『コーラスライン』は、もともと昨年観に行くはずでした。
2020年全国公演の演目であり、わたしは6月の大阪オリックス劇場での観劇を予定していました。
2月にはチケットを予約し、予定に入れて楽しみに待っていましたが、数多のライブや他の観劇の予定と共に中止になってしまいました。
『コーラスライン』への無念の思い。
その演目が観たかったという気持ち以上に、のしかかるあらゆる「中止」、振替予定の見えない「延期」への悔しさが積み重なったのかもしれません。
いつか劇場でまた。必ず。との思いを強くして、興行再開を待ち続けました。
2020年末から再度スタートした『コーラスライン』全国公演、1/10神戸のチケットを予約したのは、手元の履歴によると12月16日。年末年始を挟むことを考えると、結構ギリギリです。
11月頃から感染拡大の高まりがあり、開催可否は別にして、1月頃に自分が「不要不急の」観劇のために前向きに外出できるだろうかと悩んでいたからです。
最終的には、同じ県内であり公演前後の行動に気を付けやすいこと、一人観劇であること、機を逃すと次いつ観られるか分からないと思ったことなどを決め手としてチケットをとりました。
11月から販売開始していたチケットですが、予約が遅かったおかげでまさかのGo Toイベントの適用でチケット20%割引という副産物があったりもしました。S席1,980円引き。
※12月7日にGo Toイベント割引開始を発表
※12月18日にGo Toイベント割引チケットの新規発売は停止されました
物語『コーラスライン』とミュージカルの現実
『コーラスライン』とは、ブロードウェイを舞台とし、ミュージカル出演の仕事をとるためにダンサーたちがコーラスのオーディションに望む話です。
縮小する劇場街。少ない仕事。募集される枠は若干数。夢は輝かしくとも、あまりに狭き門であることがシビアに描かれます。
「もしも今日、踊れなくなったらどうする?」
身体一つで芸事に生きるダンサーたちに、その問いは重くのしかかります。
おそろしい、そんなこと向き合いたくないと言う者。それでも今日までを夢に懸けてきて良かったという者。全て愛のためにしてきたことだから、生きた日々に悔いはないと歌い上げる者。
この物語を生で観て、心を委ねるよりも膨大な台詞を耳で受け止めたりキャラクターを把握するのに必死でしたが、ふいにぐさっと刺さった台詞がありました。
それは「舞台が死にかけているなんて考えたくない」という台詞です。
う、わっ、くらった
と、思いました。
舞台は、死にかけている。
劇場は、瀕死にあえいでいる。
それは、物語上の舞台である1970年代のブロードウェイだけの話ではありません。
わたしたちが今いる、今の日本、そして世界中。
現代のショービジネスにも、死の匂いはつきまとっています。
登場人物たちは「仕事が無い。本当に無い。大がかりなロングランもやらなくなった。ブロードウェイは不景気だ。」と口々に言います。
その現状を踏まえて、結論として「だからといって、ダンサー以外の他の仕事をすることは考えられない。何の保証もない仕事だけど、コーラスの仕事がほしい。だってダンスが大好きだ。舞台に生きたい。例えブロードウェイが落ち目でも、自分がいつか踊れなくなるとしても、今日だけを見つめ、この舞台に全力を尽くす。」という決意を新たにします。
そして、オーディションの結果が出ると、仕事を得た者と得られなかった者に分かれる。スポットライトを浴びられない者は容赦なく舞台から去っていきます。
だけどこのミュージカルは「それでも同じように夢に挑み明日を目指す仲間たちは“ONE”である」というメッセージを最後にまた打ち出します。
まばゆく輝くスパンコール。
選ばれる者も選ばれない者も、そして選ぶ者の区別もなく、揃いの衣装で生き生きと歌い踊る美しい世界。
舞台は、素晴らしい。
劇場は、素晴らしい。
舞台人たちは、素晴らしい。
込められたメッセージは圧倒的に、清く正しく美しい。
このように盛大なフィナーレを受けて、満員の観客は文字通りの拍手喝采。
繰り返されるカーテンコール。飛び交う口笛。ますます盛り上がるお辞儀と拍手。
スタンディングオベーションは止まない。どんどんと人垣は厚くなる。
観客も物語の一部のようになったその美しい光景を、わたしは、茫然と見つめていました。
あまりにも輝かしい劇場は、まるで終末の予感。
どんでん返しの前にある死亡フラグのようで、むしろ不吉に感じられました。
素晴らしい演劇に観客たちが大いに盛り上がったことは、きっと現状と無関係ではないのでしょう。
今日の上演に対してだけ送られている拍手ではなく、
頑張って上演を続けてくれていることへの感謝が込められていたりとか。
これが最後になってもいいように、渾身の拍手とか。
まばゆい輝きを目にしながら、舞台の輝きはいつまでも続かないと肌で感じました。
いつまでも続いてほしいと願うけれども、光と隣り合わせに闇は迫っている。
『コーラスライン』の演目で示されたように、役者を演じている「役者」たちは身体的な限界や金銭への不安と無縁ではありません。
演じる役者たちが実際に生きているのは1970年代のニューヨークという板ではなく、2021年の日本で。不安は、現実と創作の区別がつかないほどに彼ら自身に同居しているはず。
そして、観客は、観客という生き物ではありません。平時はそれぞれの生活があり、開場時間から退場までの間、偶然に集っているだけ。
有事の際には、劇場に足を運ぶこともできない。役者たちに生活の糧を保証してあげることもできない。
そんな風に彼らの「夢」を一方的に吸い取って感動している観客という存在が、刹那が至上であると、やりがいが全てであると描く『コーラスライン』の物語に拍手を送る。
わたしには、それがあまりにもグロテスクな構図に見えて、スタンディングオベーションに立つ観客たちの背中をぼうっと見つめていました。
静かなキャッツ・シアター
時は『コーラスライン』観劇から1ヶ月前に遡ります。
東京、大井町のキャッツシアターで同じく劇団四季ミュージカル『キャッツ』を観劇しました。
12月10日、平日でした。
わたしは意を決して上京したアンジュルム武道館の翌日、関西に帰る前に『キャッツ』観劇を選んだのです。
大好きなこの演目。
事前予約で確認した席の空き具合は何かの間違いかと思うほどでした。
なんと、窓口で購入する当日券にGo toクーポンが使えました。
閑散としたキャッツ劇場。人間に対して、猫たちの数が多く感じるほど。
封鎖された回転S席。ほぼS席前方しか埋まっていない客席。トイレは列もなくガラガラ。お決まりの場所でピタッと揃う拍手。うかがえることは、つまりは常連ばかりの、静かな、かなしい、客席。
それでも、キャッツは素晴らしかった。
こんなにも素晴らしいのに。役者たちは今日も舞台の上で生きているのに。
観る人は、あまりにも少ない。
初めての人は、今ここにはやってこない。
クラウンドファンディングを行ったほどの劇団四季の窮状を改めて実感して、おそろしくなりました。
観劇に誰かを誘うこともままならない。
明日のことすら分からない日々の中、数週間、数ヶ月先の予定なんて立てられない。
足が遠のいている観客は、劇場に戻るのか。
「今じゃなくていい」「必要なものじゃない」生の演劇は、人々に求められ続けられるのか。
劇場に足を運ぶことも、劇団にファンを増やすことも、現状では高いハードルである、と。
いつかまた、この遠方から心置きなく外出できるようになる時まで「誰か」支えていてくださいと、他力本願に祈るしかできない自分を情けないと思います。
6月20日に千秋楽を迎えるキャッツ・シアターの、客席を埋める一人になれないことを歯がゆく感じます。
誇張でなく毎日「◎」や「○」が並ぶスケジュール予約のページを、今は眺めるしかできません。
劇団四季の「舞台への祈り」
そんなわたしにとってこの春唯一の救いは、2021年4月16日に全国公演をスタートさせる『劇団四季 The Bridge ~歌の架け橋~』。
「舞台を通して生きる喜びをお客様にお伝えしたい」という理念のもと、
2021年創立68周年を迎える劇団四季。
その首都圏のあたらしい拠点・JR東日本四季劇場[春]の、
オープニングを飾った注目の開場記念作品。
かつて誰も経験したことのない、この困難な時代をのりきる活力と、
明日への架け橋になりたいという強い思いをこめて創られたオリジナル新作ショウです。
お客様と劇団と時代の「これまで」と「これから」を、
珠玉の四季ナンバーとともに華やかにつむぎだします。
全国のお客様と感動を分かち合える喜びを胸に、劇団四季が持てる力のすべてをつくして、
歌って踊って語る圧巻のエンターテインメント。
伝統と革新、東西文化の融合、日本演劇の新たな地点をめざす、
希望にあふれた新作ショウをぜひお見逃しなく。
骨子に織り込まれているという『ハングリー・キャッツ』の詩を読み、選ばれているナンバーの背景を想い、劇団は、役者さんたちは、今なお燃えているのだと励まされました。
全国ツアーはいつどんな演目でもありがたいけれど、今の自分の近くまでこのショウを届けに来てくれることを殊更嬉しく思います。
What I Do for Love
たくさんのものを届けてくれる舞台人たちに、わたしができることなんて本当に限られていて。チケット代を払うこと、グッズを買うこと、感想を伝えること、拍手をすること、友達を連れてまた劇場に足を運ぶこと。
そのどれもが当たり前でなくなってしまった今、やるせなさを感じます。
現状のために、未来のために、自分にできることの少なさを実感し、演劇やライブに対してだけではなく、あらゆることへの無力感を抱いてしまいます。
でも、そう。先のことなんて分からないけれど、それは人生いつでも一緒。
劇場に生かされた魂は、いつかまた劇場に足を運ばせてくれる。
その「いつか」はきっと人によりけりで、息を吸うように通い続ける人もいれば、決意を秘めてたった一度に万全を期す人もいる。何年後にまた演劇を浴びることを楽しみに戦う人もいる。そのどの選択もが間違いじゃないように、劇場はいつも扉を開けて待っていてくれる。
その席は、埋まらなかった席じゃない。いつでも誰かを待っている席だ。
舞台が明日終わるとしても今日板に立つ、それが役者という人たち。踊れなくなる日がいつか来ることを知っていても、それでも舞台で今日を踊るんだ。
そして観客も。
上演が終わりを迎えることも、いつか自分に終わりが来ることも分かっていて、それでもたった一度の舞台に夢を見る。
「生きた日々に悔いはない。愛した日々に悔いはない。」
わたしたちは愛のために生きることができる。
生きるとは、生きる喜びをただ信じていくしかないのだと思います。
そのことを教えてくれたのは、舞台。
だから、
劇場よ死なないで。
愛と夢、希望が溢れるショービジネスの灯火は決して消しちゃいけない。
この苦しい時期にはきっと意味があると信じています。
信じて、ただ、生きます。
新たなる時代の幕開けを夢見て。
どうか、今という日々が、輝かしい過去とまだ見ぬ明るい未来とを繋ぐ架け橋でありますように。