雨の降らない星では愛せないだろう?

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関ジャニ∞ 2023.10.2

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彼らにかかれば、あらゆることが済んだことになる。関ジャニ∞は単純にシゴデキ集団なのだ。目にも止まらぬスピードでお仕事は進んでいき、後には成果だけが残る。

世間は彼らをそう見ないかもしれない。

ビジュアルや、運や、棚ぼたや、ゴリ押しや、もしかしたら実力ではない何かのコネクションやら何やらで、なんでこんなやつらがと思う人もいるだろう。一皮剥けば四方八方からその刃が向けられていることを、ここ最近で痛いほど分かった。

正義も誠意も魅力も無いとわたしはそうは思わないし、無責任なフラッシュの更に遠巻きからにはなるけどたくさんの人が味方でいる。彼らは、わたしたちが理解していると分かってくれていることも知っている。それだけだ。それで充分だ。

 

一昔前かつてわたしも、ゴシップの宝庫としてこの事務所を消費していたことがあった。「派閥」を知り、仕事分布図をネットで見た時には真実を知った興奮が止まらなかった。

今もなおそんな自分であったなら、この歴史的転換に舌なめずりし、もしかしたら匿名で過剰なまでに叩く喜びすら覚えていたかもしれない。

だけど。今のわたしは関ジャニ∞に出会っていて、少なからず同じ時間を共に生きてきた。今日のこの日に関ジャニ∞を好きな方の人間でいられて、心から良かったと思う。

関ジャニ∞TVでの動画がとにかくわたしたちを安心させようとして撮って出ししてくれたのものだって、分かるわたしでいられて今夜よかった。

 

 

 

 

メンバーが減ってあれこれあった頃も思っていたことだけど、もしかしたら今が序章かもしれない。彼らのグループの歴史がもしあと20年以上続くなら、ここまでの方がまだ半分にも満たない。後世のクイズ番組で、初期はメンバーが何人居て名前も違っていたと雑学にでもなればいい。何度負けたって勝つまで粘れば最後は勝ちだ。

とりあえず、ヤケになっていたり自暴自棄になっていたりしていなくてよかった。そんな風に言われるならもうやめようとか、意固地になって”イマドキの風潮”(彼らがあまりお好きでなさそうな時がある)に逆らおうとか、なってなさそうでよかった。

もしかしたらそんな夜もあったかもしれないけど、とりあえず今日、ありのままでカメラの前に立っても大丈夫な全員だと分かって嬉しい。雰囲気は、この目で見るのが一番だ。

会見がふわっとしてるとか言ってくれちゃうし、番組名どうする問題とかってはっきり挙げちゃうし、グループ名は考えてるけどファンのみんなの意見も聞きたいので募ります(アイドルっぽい流れ!)けどふざけんといてな「嵐2」とか、って。

はー、好きだ。このトークの何がって言われると非常に言語化しづらいんですが。やっぱおっちゃんらおもろいんよな。それに優しくて明るい。

結局のところ人に人がついているので。人々についていく人々なだけなので。というのが改めてはっきりした。

これまで同じ事務所でかなりの数のグループが育ってきたけど、現状としてはそれぞれ個別のファンが居て独自に活動方針があって、だから将来的にはシンプルに体系化されていくんだと思う。これから。

 

事務所の名前が新しくどうなるとか子会社がとか、わたしにとっては本当どうでもいい。発表された名前は色々ちょっとどうかとは思ったけど、でもすぐに忘れられるくらい。それはわたしのアイデンティティじゃない。何オタでもない、わたしは彼らが好きなだけです。

いま心配なのは、持ち曲の中でもアップデートにアップデートを重ねて最高に仕上がっている曲たちの歌詞が今後どうなるのかと、グループ名改名に付随して名称を変えることになる様々なこと。ちょうど始まろうとしてるキャンジャニちゃんの漫画とか、横山さんの芸名とか、気を揉むことはそりゃ色々あるけど。

なんだか、もう始まっているんだなと思った。

今日が会見で、明日からも何が起こっているのか分からないまま過ごすのかと思うと憂鬱だっただろうけど、もう爆速で動画配信してくれたので「新しい名前募集します」の投げかけが既に心の中で動いてる。

この2023年10月2日という日付が重苦しいものとして刻まれずに、新しい章への予告編くらいの位置づけにしてくれたのは、ふわっとではあるけど今言えることと把握してる現在地を共有してくれたおかげだ。

おかげで、なんだかよく分からないまま「終わった日」ではなく、なんやよー分からんけどいつのまにか「始まった日」になった。

誰かの手ではなく、彼ら自身の手でそうしてくれたことが嬉しい。正直、事務所の先輩とか会見しててもわたしにはピンと来てなかったし。

組織の話がひと段落ついて、ほなこっからは個別にどうぞー!ってゲート開けた途端にフライング気味で威勢よく飛び出してきてくれたのが、わたしたちの関ジャニ∞だったこと、心から嬉しい。

 

個人的な感傷と恨み言を申しますと、ライブDVDは何十本も持っているのに、複雑な気持ちにならずに観られるタイトルが片手に収まるほどしかない。何百曲と持ち曲があるのに、日常で気軽に聞ける5人の声だけで構成されているプレイリストは短い。最近ようやくどちらも充実してきたと感じていた。ここでまた、ちくっとする映像や曲増えんのかよマジかよって気持ちは正直ある。

「なんで彼らばっかり苦労せなあかんねん」と、思う。

「ファンやから身贔屓やけど、自分らのせいでないことで何回も何回も再スタートさせられて彼らのグループ人生めっちゃ可哀想やん」と気の置けない友人とのおしゃべりならば、これくらい言っちゃう。

でも彼らは不幸じゃないんだよなぁ。いつもいつでも。

選ばざるを得なかった選択肢でも、立たされた岐路でも。いつだってその時々で最善の道を選んで、なおかつその道中を楽しいものにしようと努力し続けてきてくれた。

だからこそ彼らが好きだし、可哀想にヨシヨシしてあげる側に自分は居ないと思う。

今度だって、きっとまた思いもつかない程の楽しさできっといつのまにか満たしてくれるはずで。そして、それくらいの信頼を築いてきたのはファンとだけじゃなくて、テレビやラジオのお仕事関係者たち、音楽関係者やスタッフさんたち。芸能界の人も、経済界の人も、広告代理店の人も。みんな彼らの中身をめちゃくちゃ好きだって知ってるから安心していられるのかも。

 

事務所の中に先輩がだんだんいなくなってきて、このまま生え抜きトップになるとも思えず今後どうするのかなと思っていた頃は「関ジュとか新しい後輩グループとか連れて関西系で独立するのかな」となんとなく考えてた。彼らも将来をもちろん模索していたと思うし、ひょっとするとそんな話が20周年に向けて動いていたやもしれない。

後ろ向きな活動限界ではなく、夢のその先が、永続的アイドルでありライブミュージシャンでありバラエティータレントでありプロデューサーであり続けるのなら、独立して唯一無二になる、そういう形が自然なんじゃないかという発想だったのだけど。

今回、みんな独立するならなんかもうそれはそれでお祭りでいいじゃん、と単純なので思った。もちろん、変化をエンタメにしてショーアップするという姿勢そのものが「イズム」であり、反省の体面としてこれまで通りのやり方はどうかというところもあるだろうけど。名前が変わっても、やっぱり彼らの育ての親だし家だし、それぞれの根っこのところはなかなか変わらんだろうなと思う。

それでいいんじゃないかな。企業は組織だから根っこごと土ごと変わらなきゃいけない時は来るだろうけど、タレントは人間だから。どんな面だって、これまでも持っていたし今後も表れるよ。こんなことになったんだから、笑いの種にするくらいは許してよ。そうやっていけば、なんか、きっとみんな大丈夫だよ。

 

より大変になったかもしれないけど、何もかも終わりじゃない。人数が変わっても関ジャニ∞だったように、逆にメンバーが同じならどんな名前でも関ジャニ∞なんだと思う。

これまでになかった困難のあとには必ず、これまでにないほどの幸せをくれてきた彼らなら大丈夫。そう信じているので、前へ前へ前へただ愛を胸に、共に歩くのみです。

 

今日の関ジャニ∞にありがとう。

愛ある関ジャニ∞TVにありがとう。

愛しているよ。Eighterより。