雨の降らない星では愛せないだろう?

ハロー!プロジェクト、関ジャニ∞、フィギュアスケート、その他つれづれ

僕らはみんな音楽 ーいま、太陽に向かって咲く花/春を告げる花

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音楽をやる人について思うこと。

 

関ジャムを観ていると思わぬところで驚かされることがある。あんなにも、歌って楽器を演奏して、音楽でお金をもらっている「プロ」であるはずの関ジャニ∞が、音楽のことを知らないことに。
もちろん、番組の進行上、知っていても知らないふりで質問をしていたりリアクションをしてみたりボケてみたりということはあるだろう。
しかし、当たり前にやっていることを語句で知らなかったりする(ように見える)
と、「知らない」のにそれでお金を稼いでいることを不思議に思ってしまうことがある。

 

音楽を知っている、とはどういうことだろうか。

 

かつて。

いや、もしかしたら今も、かもしれない。

私は、物事には「正しい」ルートがあると信じていた。
ゴールまでには階段があって、1番下の段から、1つも飛ばすことなく、踏みしめて上り詰めていくものだと思っていた。
教科書のように、昇級試験のように。学ぶということは知識を積み重ねていくことであり、そのためには1つを終えてからその次に取りかからねばならないと思っていた。

 

しかし、いつからか気付き始めた。
道は1つではない。同じところに至るように見えても歩き方は人それぞれだし、どこを近道しても、遠回りしても、同じところに戻ってきても、それは悪いことでもなんでもないのだと。
同時に、それは、私にとって恐ろしい気付きでもあった。
与えられる課題をクリアし、会得していく先に「正しい」ゴールがあると信じていたのに、道のり自体を検討し、いつも疑う必要があると分かったからだ。
思考停止しているだけではいけない。とても安心してはいられない。

 

幼い頃から、私は音楽が好きだった。歌うことが大好きで、自然に「うたのおねえさん」に憧れた。
ある日、うたのおねえさんにはどうやってなるのかと母親に訊ねると、母はこう答えた。
「音大を出てないといけないのよ」。
その言葉は特に学歴を強いる意図はなかったし、私の幼い夢を縛るような言い方でもなかった。なり方を訊かれて答えた、ただそれだけだったと思う。
しかし私は、自分で縛ってしまった。
音大に行かないといけない。音楽を専門的に勉強しないといけない。そこまで打ち込んでも、就職する時にうたのおねえさんの募集があるかも分からない。だから、うたのおねえさんになるのは難しい。そう考えた。
なんて現実的な子どもだろうか。
そして私は、叶う可能性の低い夢は持たない、という結論を出したのだ。
何もその時だけではない。私は、そうやって石橋を叩く前から渡りきれるかどうか心配する癖がある。
渡るにしろ渡らないにしろ、途中で渡りたくなくなるかもしれないにしろ、まず叩いてみたって損はないのに。

 

後になって思う。
音楽だって、とりあえずやってみればよかった。
音楽科だって、目指した後に諦めたって、なんにも恥ずかしいことなんてなかった。
受からないかもしれないから、大成しないかもしれないから、そうやって言い訳して夢をおそれた。
それくらいで諦められる気持ちなんだから、元から本気なんかじゃなかったんだね、と賢く自分を分析してみせた。
そうして自分で勝手に限界を決めて手を伸ばさなかったものを、後からいつも悔やんだ。だけどその時にはもう遅いと、いつもまた諦めた。
今考えると、いつでもあの時はまだ遅くなんてなかったのに。

 

話が逸れたが、音楽の道というものをそのようにして固い頭でとらえていた私は、かつてポップス歌手を見下していたところがある。
いくら歌が上手くても、でも音大も出ていないのに、と思った。
初めて作詞作曲したんです、と聞くと、理論も分かっていないのに、と思った。
体系的に学んでいない人に音楽をされるのが、嫌いだった。

なんて狭い物の見方。そして、その基準でその時々の自分のことも測った。

今の自分は自分じゃない。まだ私は本気出してない。
いつか私は作曲するようになるけどそれはコード理論を勉強してからだし、作詞しているものはあっても最高傑作がいくつもできてからでないと発表できないし、のど自慢に出たいけどチャンピオンになれる曲とシチュエーションが揃ってからできないし。そう思い続けてきた。
今でもどこか、ある日ひょんなことで才能が発掘されるのではないか、と夢を見ている節がある。
でもそれは、夢と呼ぶのもおこがましい尊大な自尊心である。

 

挑戦しない自分に気付いてから、ずっと恥ずかしかった。
それでも、その時点からできることすら、やってみようとしなかった。
そんな自分に、夢を掴むために努力した人たちは、眩しかった。
でも、彼らは「学んでいない」人だった。だから平気で見下した。そうやって安心していた。
自分自身は音高出でも音大出でもない、何かを成し遂げたこともない、ただの人だというのに。

 

ずっと大好きな歌手の坂本真綾さん。
歌手デビュー14周年目に、突如ピアノを始めた。
素晴らしい歌をずっと歌ってきたのに、実は楽譜が読めなくて、ピアノの譜面は耳で覚えたという。
コンサートのMCでそのことを聞き、びっくりした。正直、そんな余計なことやらなくていいのに、と思った。グランドピアノの前に座る姿は見るからに緊張していて、いたたまれなくなった。
しかし、いざ弾き始めてこぼれたピアノの音色に耳を疑った。
その音はまるで真綾さん自身の歌声のように、美しい音楽を奏でていた。
それに加えて歌も歌う。弾き語りだ。例え間違えても、演奏を止めることもできない。
私は、そんなこと、できなかった。
弾き語りへの憧れはあっても、歌もピアノも同時にできるようになるにはまずピアノが弾けないといけないと思っていたし、完璧にできないと恥ずかしいから真剣に取り組まなかった。
ああなんてすごい人なんだ、と憧れを強めると同時に、自分自身を恥じた。猛烈に情けなかった。

 

そんな真綾さんは、たった1曲だったピアノのレパートリーをその後いくつも増やした。
15周年記念の日本武道館ライブでは、ギターにも挑戦した。そして、「下手っぴだけど、やってよかった!」と清々しく笑った。ちょうど、30歳の誕生日に。
その場で、初めて自分で作詞作曲した曲を披露した。ピアノで弾き語りをした。『everywhere』というタイトルの、とても素敵な曲だ。
そして、歌手デビューから18年目、『シンガーソングライター』というアルバムを発売。これまで作詞のみ、そして自然発生的に作詞作曲してきた彼女が、全曲自作曲のCDを出したのだ。 とても味わい深い、心のこもった、良いアルバムだ。

 


坂本真綾 「Road to SSW」ダイジェスト

 

”良いと思うものを、こう、やっていくってことは、音楽じゃなくても全部、それに尽きるなあ”

 

物心ついた時からピアノを弾いていなくとも、学校で音楽理論を教わっていなくとも、良い音楽は作り出せるのだと、当たり前のことに改めて気付かされた。

長いキャリアも、年齢も、彼女の足かせではなかった。たどり着いた場所は、ゴールではなくスタートだった。

人は、何かをする時に、遅すぎることはない。
そして例え何かになった後だって、いつでも違う何かになることができる。
吹き替え声優、アニメ声優、女優、歌手、作詞家、作曲家、ミュージカル役者、エッセイスト、その他なんでも。
いつでも挑戦を続ける真綾さんの姿に、いつも真摯に生きるということを教わる。

 

坂本真綾15周年記念ライブ“Gift” at 日本武道館 [Blu-ray]

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話はここで冒頭に戻る。関ジャニ∞だ。

私は彼らの音楽が大好きなのだけど、彼らは音楽だけをやっている人ではない。

とても上手にできる人たちばかりなのだけど、仕事が無いと楽器に触らないこともある人もいる。プロのミュージシャンならあるまじき行為。

ということは彼らは「プロのミュージシャン」ではないということだろうか。

どちらかというと、音楽は戦うための武器の1つであり、「関ジャニ∞であるため」のものなのだろうかと思うこともある。

成り立ちからして「せざるを得ない」状況で楽器を始めた人が多い。というか、過半数がそうじゃないか。ギターからベースに転向を勧められた丸山さん(これ自体はバンドあるあるかもしれないけれど)、ドラムを叩けないとグループに入れないため一から始めた大倉さん、錦戸さんも今ではフロントマンなのに関ジャニ∞としてギターを持つのは遅かったし、横山さん村上さんは2人とも本当に、しなくてはいけないからだったと思う。

だけどそれも全部過去のこと。

いや、もしかしたら今もしなくてはいけないからしているのかもしれないけれど、きっとそれだけじゃない。音楽を楽しんでいる。きっと好きでやっている。

というか、それすら私の物差しかもしれない。

丸山さんが「最近までビジネスベースだった」と語ったというのは驚きだったけれど、きっと、好きじゃなくたって、かまわないのだ。 

どんな道を歩んできた人も、今ステージに立っている。それが全て。

音を楽しむ機会は、音で楽しませる力は、いつだって誰にだってゆるされている。 

「せざるを得ない」人が奏でる音楽だって、美しい。

「知らない」人が歌う歌も、世界を震わせる。

むしろ、その姿勢そのものに心動かされる時もある。


きっとつまりは、人間なんだろう。

音楽が愛を伝えてくれるのは、そこに愛が込められているから。どんなに震える指だって、そのまごころに嘘はない。 

 

FNS歌謡祭、一番印象に残ったのは、そんな気持ちにさせてくれた村上さんのピアノだった。 

 

いま、太陽に向かって咲く花

いま、太陽に向かって咲く花

 

  

 

あと、番組視聴中に発表された"水曜22:00"のあの子のこと。

 

 

歩んできた道と違う道を選ぶこともある。歩き方を変える時もある。

全部自分で決めればいい。どこに行ったって、結局、人は何かをせざるを得ない。

だけど「せざるを得ない」その状況で何を学び取れるか。どんなきらめきを作り出せるか。それはその人の心の持ちようで決まる。だって、どんな風景にだって色鮮やかな幸せはある。真摯に向き合えばきっと分かる。音楽の本当の幸せを「知る」のは、きっと続けられる人だけだ。

だけど、どんな時だって、欲しいものがあったら手を伸ばしていいんだよ。欲張っていいんだよ、きっと。貪欲に求めればいい。人間だもの。 

 

私は知っている。歌をもう歌わないと決めた人にも、きらめきは確かにあった。

花がほころぶように誰もが笑顔になる奇跡の瞬間は、音楽の中に存在していた。神様からもらったGiftを歌に乗せておすそわけしてくれていた。

たくさんの人を歌で笑顔にできる人は、決して平凡な女の子なんかじゃなかったよ、と思う。

例え限られた時期であっても、輝きを宿せる人は、うつくしい人だ。 

 

子どもの頃から知っているからいつも心配してきたけれど、本当は今も心配だけど、きっと大丈夫なんだと思う。

ステージの上に生きなくとも、好きだった笑顔は変わらないはず。きっとこれからも、世の中のどこかにあたたかな春を告げる人であるはず。  

だからどうか元気でいてほしい。すこやかに育ってほしい。そして誰かを笑顔にしてほしい。そうやって、いつもあったかい空気に包まれていてほしい。

 

辛夷の花

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こぶしファクトリーの皆と、今はこぶしファクトリーじゃなくなった皆が、歌った歌は、届いているよ。今も誰かを、私を、動かし続けているよ。

 

 

そう、どの道を歩んでも、人生だ。 

階段を使えなくて、よじ登っても、目指すところにたどり着こうともがく人は美しい。

今、その時を生きる。”生きることは音楽”。 

誰かの書いた譜面が読めなくたって、自分なりに奏でればいい。 

 

シンガーソングライター

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FNS歌謡祭と、こぶしと、たぐっちと、れなこと、りおりおと、あと自分のこと。

全部混ざって混沌としてる、これもまた、今日の私のうた。

 

誰かが奏でてくれた音楽のおかげで、今日も豊かに生きてる。