雨の降らない星では愛せないだろう?

ハロー!プロジェクト、関ジャニ∞、フィギュアスケート、その他つれづれ

生きてる彼ら、生きてる僕ら

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関ジャニ∞はすごい。関ジャニ∞が好きだ。

今、ただひたすらにそう思ってる。

 

今日は音楽を聴いて2回泣いた。高橋優くんの『Beautiful』と関ジャニ∞『生きてる僕ら』で。

そしてここ最近の色んなことに、こんなにも心が疲れてたんだなって自覚した。涙が出るのは心が敏感になっている証拠。

 

真実も事実も正しい正義も何も見つけられるはずないのに、何処かに座りの良さを探して探して探し続けて、そりゃ疲れるよね。でも納得しないと前に進めないような気がして、めいっぱい考えたりしていた。

考えたことを言葉にしてSNSに書くのは更に難しくて。

自分の言葉は被害者に対して失礼なんじゃないか、同じファン仲間からどう思われるだろうか、誰かから目をつけられて攻撃されたりしないだろうか、無責任なメディアに拾われたりするかもしれないから肝心なワードは抜いておこうか、別界隈の人から盲目的ジャニオタ認定されるんだろうなと思われてしまうような言葉は避けようか、なんてキリない。

だけどモヤモヤが溜まるとどうしても吐き出してしまいたくなる。スッキリしないのは分かってるのに。あんなこと書いて誰かに「分かってない」とフォロー外されてるんじゃないかと後から気になってしまったりもするのに。

 

わたしはただのファン。タレントのファン。関ジャニ∞のファン。それだけ。

事務所の支援者でも擁護者でもファミリーでもなんでもない。

だからこそ引き裂かれるような気持ちになるし、だからこそ見えるものもある。それでいいと思ってる。でもそれだけじゃなんだかゆるされないような気もする。

加担していたのかと問われれば、確かに罪はあるんだろう。

こんな犯罪企業にお金を落としているなんて、社会の敵といえばそうなんだろう。

自分の立場がくるしい。でも、それ以上に胸が痛いのはやっぱり彼らのことだ。

 

あんなに敬愛を、感謝を、大っぴらに掲げていた彼らがどんな気持ちでその名を今想うのか。奪われようとしているアイデンティティをグループ名に宿して、それが奮起の原動力でもあったはずの彼らは。

この流れに反発して取り返しのつかないようなことを言うんじゃないか、なんておそれたりもする。それくらいのこと言いそうだって勝手にハラハラしてる。5人も居ればそれぞれ体験も思考も違って複雑だろうなってことくらいは分かる。

大丈夫かな。心配だよ。これからが。今の貴方たちが。

疲れてない?悲しんでない?怒ってない?受け入れ難い気持ちに襲われてない?心無い言葉に傷ついていない?

いい大人のことを、他人のことを、ただのファンが無闇矢鱈と心配したってしょうがないのにぐるぐると考えてしまう。

 

そんな時、9/7のOclubがあった。

読んで、するすると入る感覚の、彼の綴った文字。

大倉くんの言葉だけですっと心は整った。

 

ついていく。ついていくよ。

事務所にではなくこれまで通りこれからも、わたしは彼らについていくだけだ。

彼らの不安を吹き飛ばせるようなファンでありたい。彼らがいつもそうしてくれているように。

彼らがわたしの光であるように、わたしも彼らの光でありたい。がんばれる力になりたい。笑顔のもとになりたい。幸せをあげられる人間でありたい。

苦境から何度も引っ張り上げてくれた彼らを。もし頼ってくれる時があるのなら、今度はわたしがわたしたちが手を貸す存在になりたい。

そうやってお互い確かめ合いながら必要としていきたい。それぞれを生きながら時々繋がりたい。

ファンとタレント。世にも不思議なこの関係は当人たちにしか分からない何かで結ばれてる。

愛かもしれない。絆かもしれない。もっと歪な何かかもしれない。だけど自分の目で見えたその糸が、確かにあると思えるならそれでいいんだ。それならきっとそこにあるんだ。

 

『生きてる僕ら』。

2023年9月8日「KANJANI∞ 20FES ~前夜祭~」前夜、スタジオセッションで届けてくれたこの歌は、今を照らす光であり未来の新たな道しるべとなる。

 

あのRe:LIVEから始まったギターの音色のその価値を、わたしたちは知っている。

だからきっとこれからも、わたしは、わたしたちは愛していく。

お互いに生きて、呼び合いながら。

どんな時でも大丈夫や!って、何度もいつまでも確かめ合いながら。

 

罪な魔法をかけられたわたしたちは共に未来に夢を見ていく。

 

 

こんなどうしようもないわたしが願いをかけるのはただ一つ。

明日、どうか晴れますように。彼らの空が美しくありますように。