あのー…りなぷ卒コンの感想をですね…。(デジャヴ)
いえ、それはわたしの都合ですね。さっさと書けばよろしいのです。生配信参戦という、現場まで移動時間0分の、なんともありがたい仕組みで観せて頂いていたのですから。
なんというか、余韻。それですね。
「卒業したね、淋しいけど綺麗で良い卒業だったね。次からは新しいかたちで始まるね、ファンも気合いいれて応援していかないとね。頑張っていこうね。」
という、そりゃまぁいつも繰り返すルーティンなので、予め予測された行動だろうと言われればその通りなのですが、何故か毎回新鮮に繰り返すのです。価値に気付き直して、立ち上がり、歩き出すのです。
それを丁寧に、きちんとやりたい。誰の時も。ただの通過儀礼になろうとも。
たった一人の、唯一の。
卒業とは、グループの行事ではなく。その人の人生の節目です。そう思いたい。
急なご報告
あやちょ卒コンから8日でりなぷ~の卒業が発表され、3ヶ月で卒業。そのりなぷ~の卒コンから6日でかななんの卒業発表で、3ヶ月弱で卒業。
んんんんん。
いや、分かってますよ。会社の人もわざとやってる訳じゃない。これは不意だったであろうことはきちんと書いてありますもん。
芸能活動に区切りをつけ、今までとは異なった新しいジャンルに飛び込んで、一から勉強したい、と話がありました。将来のビジョンを固めるのに、もう少し時間があったほうがいいのではないか、と話しましたが、彼女の思いは固く、その意志の強さを感じ取れたので、次の一歩を踏み出したほうがいいと判断し、卒業という結論に至りました。
会社としても予定外の卒業であり、かななん本人の意志だから俺たちを責めてくれるなという気持ちは読み取れました。うむ。
昨今の言い訳みたいな卒業発表に思うところないではないですがね。
正直な理由(本当の正直かどうかは問わないけど、少なくとも夢ある建前ではないでしょう)って、私たちに必要なのかな。
細かいことが知りたいファンの気持ちに応えているというより、責任がないことを示すために個人を犠牲にしていやしませんか。プライベートな事情(進学に際して受験不合格やら)を懇切丁寧に開示することで、不自由になっていやしませんか。
そういうの、芸能界を離れる子の時に起こりがちなことも、なんだかなぁと思います。
ま、少し話は逸れましたが、今回の発表のタイミングはかななん自身の意志だというのです。
卒業については、今年の初めから話し合っていましたが、勝田里奈の卒業を尊重したいという中西の思いもあって、発表をこのタイミングにさせていただきました。急なご報告となりましたことをお詫び申し上げます。
かななんはりなぷ~に配慮。りなぷ~はあやちょに配慮。
そうやって、いつも自分を2番目におく控えめなところが、らしさでありもどかしいところでした。最後までそうなのですね。
あの子は今日も映画の話
かななんの卒業発表前のブログからは明るくふっきれた様子が感じ取れて、あぁ、これは…と心のどこかで覚悟はしていました。
見ているのが少しつらくなるくらい、悩めるサインも以前からはっきり出ていて、いつやめてもおかしくないと思っていました。
だからこそ、急で驚きました。急ぐ理由が分からなくて。
それが遠慮なのか、次へ急ぐ気持ちなのか。後ろ向きな決断でも前向きな決断でも、かななん本人が決めたことならば、歓ぶべきだと分かってはいるのですが。
もう 止めたりは出来ないよ
どうなるか わかんないけど
うん 受け止める
だって もうとっくに始まってる
―「恋ならとっくに始まってる」
動き出したら止まらない。ページもめくり出したら止まらない。
万物の法則とは、そういうものなのですかね。せつないですね。
狭い箱で愛されて
かななんはりなぷに配慮して、りなぷはあやちょに配慮して、第二章の始まりだ!ってアクセル吹かしたけど2期の春はあっという間に過ぎていって、なんなんだろうねこれは
— 奏ポルカ (@polka8dot) September 30, 2019
自分の卒業についてアイドル自身に遠慮ばかりされると、卒業前の特別な「あなたは愛されてるよ」ってたくさんたくさん伝えてもらえる時間が無くなってしまって、ファンとしては、その甘さ気恥ずかしさ幸福感を味わってほしいのに~!重い愛を受け止めてほしいのに~!ともどかしくなってしまう
— 奏ポルカ (@polka8dot) September 30, 2019
愛されてる人は愛を受け取る義務があるんだよ、アイドルは自分が特別な人だって自負するお仕事なんだよ、きっとそうなんだよ皆遠慮なんてしないでキラキラしてよ
— 奏ポルカ (@polka8dot) September 30, 2019
アイドルを愛してる人間のエゴです。愛の押しつけです。でもこんなかたちしか知らない。むやみやたらと愛することでしかファンはいのちを保っていられない。
— 奏ポルカ (@polka8dot) September 30, 2019
さ!み!し!い!よ!!愛はこの胸から無くならないけど君はそこに居なくなる!!
— 奏ポルカ (@polka8dot) September 30, 2019
急がないのであれば、存分にお祭りタイムを用意してもらえただろうに。最後が豊洲PITだなんて。どう見ても急遽用意したツアーラストですよ。
ライブハウス→メキシコ→パシフィコ(りなぷ卒)→ライブハウス→パシフィコ(大箱)→ライブハウス→豊洲PIT(かななん卒)って、あまりにもぐっちゃぐちゃのツアースケジュール。
セトリもどうなるんでしょうね。9月パシフィコと11月パシフィコでは変えてくるんでしょうが、豊洲用にまた卒コンを練るんですかね。まさかりなぷ卒とセレモニー部分だけ変えるなんて訳にはいかないでしょうし。どうするのかな。
場位置や歌割りの変更もものすごい頻度。りんちゃんのみならず、まだ加入して1年のはちれらだって負担が大きいでしょうし。
いや、でも、誰も悪くない。変わっていくグループなのだからそれは仕方のないことです。3ヶ月だと早くて、じゃあ半年あればいいのかって話ですし。
「アンジュルムの第2章」
あやちょというカードを切ることで、揃った手札もまた強い。という安心感が、あの日の武道館にはありました。
強固な1が終わり、新たな2が始まる。その時、1と同じくらいの強さであったり、長さであったり、2のボリューム感を知らず知らずのうちに期待値込みで予想しちゃっていたのかな。けど今、想像していた未来と違って、戸惑っています。
タケがリーダーとしてこの先長く君臨するのなら、もちろん「第2章」の「2」は、「2期」の「2」といえるでしょう。第2章が始まる、という触れ込みは間違いではない。
だけど、一体いつの時点の、どの形が第2章の始まりなのか明確でなくてきっといまいち乗り切れないのですね。
あやちょ卒→りなぷ卒業発表→りんちゃん加入→りんちゃん合流→りなぷ離脱→かななん卒業発表→新曲発売(りなぷ歌唱曲込み)→かななん卒業
外部フェスからなのか、ハロコンからなのか、ライブハウスツアーからなのか、リリイベからなのか、卒コンからなのか、CD発売からなのか。
はじまった…あっここからがはじまり…えっとここでしたか…あっこれからなんですかね…あぁはじまってましたか…!という感じ。
あの、一昔前のホットペッパーのCMの「まだ伴奏です」みたいな。笑
常に過渡期。
『大器晩成』のような『次々続々』のような現在の象徴があればいいんですが、少し決め手に欠けるのかな。
新曲『私を創るのは私』の歌詞に「第2章」という言葉が含まれていて、現体制のモチーフ曲にしようとしているのは分かるのですが、発売が遅くてタイミングがずれている感じ。
アルバム曲の披露もそうでした。あやちょ込みで作ったアルバムなのに、あやちょがいる時に披露できなかった曲も多く、りなぷ卒でりんちゃん込みで披露。でもこのツアーは、名目上アルバムを引っさげてのツアーではないのですよね。
美しくないなぁ。難しいなぁ。生身の人間のストーリーって、うまくいかないものですね。理想と現実はちがう。いい意味でも、ちょっとつらい意味でも。
りなぷ卒が発表された時にも似たようなことを思っていました。
現体制は3ヶ月限りという、余りにも短い期限を第2章が始まった途端に提示されて、この期間は“つなぎ”なのだと。実質、あやちょとりなぷ~の卒業はほぼ同時で、9月以降が“本当のスタート”なのだと、思った。 新しく始まった11人体制が固まりきらないまま、りなぷ~の卒業を迎えることになるんだろうなと、頭に思い浮かんだのだけど。
2019年、アンジュルムの夏は勝田里奈の卒業発表から始まった - 雨の降らない星では愛せないだろう?
9月26日からが「第2章の本当のスタート」だと。でも、かななん卒が発表された今は、12月11日以降が「本当のスタート」だと思い直しています。でも、じゃあ、6月19日からここまでの日々はなんだったのかと。
意味のない日々ではなかったはずです。得たものも、掴んだものもあるはずです。この12人だからこそのきらめきも、ちゃんとあった。
でも、覚え直す曲を絞ったりはしてきたでしょうし、人数の変化がリリイべやライブハウスでのセトリに影響を与えているとすると、いつでも今がベストだと言えるのだろうかと。それってどうなの、甘えてはいないかな、と、少し思っている顧客の自分もいます。
鍛錬期間の全てを見守ってないので、変化期間ならではの楽しみを見出せていないのでしょうけどね。
アンジュルムの必然
“密着ドキュメンタリーフォトブック”なるもの。
|
この本の作られ方に思うところがあって、手にはしていないのですが。
『アンジュルムと書いて、青春と読む。』だそうです。
アンジュルムには「いま」しか無いのかなぁ。
卒業加入を繰り返すということは、かたちがないということで、約束された成功がないことと同義なのかもしれない。不安を背中に、応援していくことを駆り立てられているのかも。これがそうか、必然か。
ドラマ『ごめんね青春!』の蜂矢先生の台詞を思い出す。
「腑に落ちないくらい我慢しなさい、青春なんだから!」
この台詞自体、腑に落ちるような落ちないような、教師からの理不尽をはらんだ説教なのだけど。
んーー。そうね。この感じが青春だといえるのかもしれない。
だとすると、アンジュルムって、尊くて儚くて時にこわいね。人間だね。
ああ、だめだ。ぐちぐちと落ち込んできたので簡潔にまとめに入るとしましょう。
ええと。
かななん、次へと踏み出す第一歩おめでとう。卒業までの日々を悔いなく走って存分に愛されてください、ということ。
アンジュルムすごい良いよ。9.25すごい良かった。これからもずっと楽しみ、ということ。
かななんに何があったのか、明らかに昨年くらいから何かあったけどはっきりと語られないそれがやっぱり気になってしまう、ということ。
メンバーそれぞれにも思うことがありそうだけど、実はあんまり表に出してほしくない、そんなアンジュルム見たくない、ということ。それが酷いエゴだと気付いていること。
せっかく掴んだ上昇気流から、いつのまにか振り落とされていないか不安になっていること。
昇るだけじゃいられなくなってしまった2017年頃に雰囲気が似ていて、また戻るのかという落胆がわずかにあること。
楽しみも落ち込みも、これらのことは、ちゃんと別々にあるということ。
だけど時々ぐちゃっとなって、しんどくもなること。
ちゃんと見ようとすると、見たいものだけ見ている訳にはいかない。
でも根本にあるのがLOVEだから、きっとまた熱くなれるでしょう。そう信じて。
良い秋になりますように。
Next Pagesの先に待つものは、第2章の本当の始まりか、それとも知らず知らずたどり着いた第3章か。
…ひねくれクイーンは私か。
**********************
追記10.3
かななんブログ読みました。「良い状態で終わりたい」が解だったのかなと思いました。それなら分かる、と、腑に落ちました。
ハロステのパンタレイ観ました。万物は流転する、恐るなかれ。変わらぬハートここにある、それがLOVE ETERNITY。不安が歌でバチコン殴られた感じです。勇気づけられました。I can believe my love !
サンキューヒャダイン。ほな!